伊26潜の最期
第二次世界大戦末期のレイテ沖海戦で、叔父のひとりが戦死している。彼は父親の弟であり、海軍兵学校を卒業した潜水艦乗りだった。
沖縄のことをいろいろしらべているうちに沖縄への水上特攻で悲劇的な最期を遂げた戦艦大和のことを改めてかんがえるようになり、当時の日本軍首脳の思考をトレースしているうちに、そういえばその叔父はフィリピン沖で戦死したが遺骨は帰ってこなかったと聞いたのを思い出した。
そこでいまさらながらネットをさまよってみると、叔父の最期がある程度わかってきた。
名前は波田野正七といい、海軍兵学校第71期を昭和17年11月14日に卒業している。同期は581名だった。「山城」「榛名」に乗務したあと10期潜水学生となり、イ号26潜(正式には伊号一五型第二六潜水艦というらしい)の航海長となる。艦長は西村正一少佐(60期)。フィリピン沖海戦で撃沈され戦死。23歳、戦死後大尉。

イ号26潜は1944年10月3日に呉を出航してフィリピン東方海上に向かった。その後の行動は不明だが、米海軍史料によると北緯3度44分、東経130度42分で米護衛空母アンジィオ所属の哨戒機と護衛駆逐艦ローレンス・C・テーラの爆雷およびヘッジホッグ攻撃により撃沈されたと推定されるという。
沈没の時期および経緯については複数の情報があっていまのところはっきりつかめていない。

イ26は水中排水量約3,600トン、全長108.7m、全幅9.30m、安全潜航深度100m、航続距離(水上)14,000海里。魚雷17本を積み、零式小型水上偵察機1機を搭載していた。乗員は100名前後でうち将校は9名。ずいぶん大きな船だ。
艦長はおそらく34歳くらい、航海長が23歳というのはいかにも若い。

彼の母親(つまりわたしの父方の祖母)はいなかのひとで文字が読めなかったにもかかわらず、新潟の山奥から江田島まで息子に会いに行ったという話を聞いたことがある。
戦争はもうはるか昔のできごとだが、沖縄での戦いのことをあれこれかんがえているうちにふと思い出したので、いくらか鎮魂の意味もふくめてメモしておいた。
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by hatano_naoki | 2010-11-07 06:34 | 日日
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