大地震のあとで
ここのところ、すっきりしない、はっきりしない、わだかまったあいまいなかんじが抜けない。運命のモラトリアムにいるようなかんじ。圧迫された肉体の感覚、破綻の上に浮かんでいる借り物の一時的な安定という意識。そういう気分が基調低音になっていて、なにをしていてもちいさく鳴っている。
大地震から3ヶ月が経って東京の日常はすっかり日常らしくなったけれど、あきらかに以前とはちがう。それは外部的な要素ももちろんあるが、内部の意識に顕著だ。
根底には大津波の間接的な体験と、わたしの住む東京の北北東200キロメートルにある傷ついた原発群のことがないまぜになっている。
東京では原発の恐怖は抽象的だ。まあ普通に暮らし、過剰な恐怖心を持つ必要はないということだろう。しかしいまだにからだのどこかが身構えている。いつどの瞬間にも駆け出せるような身構え方。
わたしの妄想によれば、傷ついた原発の内部で燃える原子の火は抑え込まれていないだけでなく、悪魔的な威力を行使する瞬間を狙っている。つまりその瞬間がくる可能性がある。事態がいまよりも悪くなるということだ。チェルノブイリほどじゃないと思っていたのがひっくりかえされる。おそろしい原子の火で電気を作ろうなどというかんがえがあさはかだったのだと真剣にかんがえる。
これらの原発群が沈静化し、完全に姿を消すまでにはおそろしく手間のかかる面倒な作業の連続である10年もの時間が必要だとマスコミはいっている。原発は安くも安全でもなく、それどころかおそろしく手を焼かせる厄介者であることが事実によって証明された。今後10年は原発の軛(くびき)から逃げることはできない、覚悟しなければならないとわたしの中の誰かがつぶやいている。
地震が起きてからずっと、原発でなにが起きているのか、それがどれほど危険なのかがあいまいにされたままで時間ばかりが経ち、そのあいだに不誠実で稚拙な情報の開示がつづいた結果、こんどの原発事故の状況についてはほとんどだれも楽観的な予測をしなくなっているにちがいない。事態は発表よりも必ず深刻だった。
たとえばこれらの原発がいわゆるメルトダウンの状態にあることが公表されたのは事故の発生から2ヶ月半も経ってからだった。
そういう中でわたしがいくらか信頼できそうだと思っていたのは外からくる情報だった。それはたとえば欧米の研究機関の見たてであり、海外メディアの論調から見えてくる原発の状況である。放射性物質の拡散状況ははやい段階で海外の機関によってシュミレートされ、図として示されていた。おなじことが日本にできなかったはずはないが、それが公式発表として示されることはなかった。
こういう状況がつづくといわゆる専門家のいうこともあまり信用できなくなってくる。原子炉の設計と運用の根底にある思考が原子の火のおそろしさに比べて軽すぎたんじゃないのかといううたがいが消えないどころか大きくなっていく。
どうかんがえても原子力による発電というアイデアそのものが破綻した。そのことは本当はチェルノブイリのときに世界の共通認識になるべきだったけれど、少なくとも日本はウクライナから遠すぎ、チェルノブイリの災厄は日本の災厄とはかんがえられなかった。
しかしもう無理だろう。すくなくとも日本では原子力による発電をつづけていくことはできず、どういう道筋で撤退するかが唯一の関心事になっていく。一方で世界の現実はおおいに違っており、先進諸国が脱原発を目指したとしても、膨張するエネルギー消費に応えるために原発に舵を切る東南アジアの国々のような立場もあるわけで、結局世界の原発は増えていくにちがいない。いわば貧者のエネルギーとしての原子力発電。そうなると原発ビジネスは武器商人のイメージとだぶってくる。その結果、核爆弾のように原子力発電も拡散していくから、日本が脱原発でクリーンになったとしてもよその国の原発事故にいつまでも戦々恐々としていなければならない。
歴史的には福島原発はヒロシマのように身をもって原子力に内在する危険と災いの実相を示したというふうに記録されるのだろうが、それにもかかわらず原発のない世界もまた絵空事で終わりそうだと憂鬱なわたしは思う。

*

地震が起きたときは東京の都心のビルの5階にいたが、相当な振幅で、かつ長い時間にわたってゆれた。ビルが倒壊するかもしれないと思えるような揺れだったが幸運にも倒れることはなかった。30分後、電車は止まっていたので家に向かってあるきはじめた。携帯はまったくつながらず、メールだけが長い時間をかけてようやく届いていた。
2時間ほど歩いて自宅にもどると、家は見たところこわれずに立っていた。ただし台所の食器がかなり落ちて床がガラスの破片だらけになっていた。その夜から週末の2日間を家にこもって東北を襲った大津波の映像を見つづけることになった。テレビで津波とその被害の映像を無限ループのように見つづけるうち、一種の間接的なPTSDとでもいうべき精神状態が生まれそうだった。

初期の被災地のヘリからの空撮は少し経つと地上からの映像に変わり、生き残ったひとびとの証言が増えていった。報道内容のこういう変化は阪神淡路大震災のときにも経験したことで、個人的には阪神淡路大震災といろいろな局面で比較していた。
ところが阪神淡路大震災とはまったくちがう状況があらわれた。原発である。福島第一原発の状況がひんぱんに伝えられるようになり、その深刻さがわかってくるとつぎに思い出したのはチェルノブイリだった。以前、チェルノブイリについて調べたことがあって、その事故のひどさが深いところにこびりついていた。東京からの脱出というイメージが脳裏をいききした。
日々の報道も自分の意識も大津波と原発の危機でいっぱいになり、原発の生み出した危機の進行を自分なりに判断して行動する(あるいは行動しない)日々がつづいた。津波の被害の様相がしだいにはっきりしていく一方で原発でなにが起きているのかはよくわからないのだった。

あの大津波は将来は伝説となるにちがいないほどの天変地異の一種で、それもめったに出会わないくらいの大きな災禍だったが、東京にいたわたしは被災地と原発のサイトから伸びる長い影の下にいたにすぎない。地震直後には東京にも危機の予感が漂ったが、その次に破滅がきたわけでもない。しかしくる日もくる日もテレビで津波の映像を見つづけたわたしはそれらが間接的であることによって傷ついたような気がする。
一方で原発の災禍は直接的に東京に及ぶかもしれず、そうなれば東京はチェルノブイリのときのキエフになるかもしれなかったから緊張が張りつめていた。まちを歩いているとそこにはきのうの日常はなく、いつくるかわからない破滅を待ち受ける瞬間が連続してあらわれていた。
傷ついた原発はいわば緩慢な死の表象だ。いつ飛びかかってくるかわからない獰猛な生きものの群れに遠巻きにされていて、その状態で何日も何週間もすぎていくような気分。あいまいな危機が日常化するのをただ傍観していて、なんの積極的な行動もとれないというジレンマあるいは自棄。東京は目前の危機に接しているわけではないから危機も不安も抽象的であり、手のなかで時間をかけていじったりいろいろな方向から眺めたりすることができた。綱渡り的状況であってもそれがつづけば人間はしだいに慣れてくるもので、余震に慣れたように原発の危うさにもしだいに慣れていった。

この大津波と原発の危機がわたしにどのような影響を与えたかについては、状況が現在も進行しているのでいわば途中経過だが、なにか大きくて重くて本質的な問いを背負ってしまったようにかんじられる。そしてまた、大津波とその後の原発の危機的状況によって、これまで世の中にあっておおきな顔をしていたくだらないもののあれこれがそのくだらなさを露呈したし、自分の行動や思考もおなじように検査されたというふうにかんじる。まがいもののメッキがはがれ、要らないもののひとつひとつにこれは要らないというフラグが立つ。人間の生活のそうとうな部分は無意味で不要な要素から成り立っているが、それらがくっきりと色分けされる。無事に生きていることが一種の奇跡だったということがようやくわかってくる。人間というものは結局、これほどの惨禍を通過しないと学習しない生きものだということが再確認される。
直接にはおおきな被害がなかった東京だが、目に見えない不安がいまだにうすいベールのように都市全体をつつんでいるようにかんじられる。都市が心理的な外傷を受けた。もちろんそれはわたし個人の心象にすぎないのだろうし、多くのひとが共有しているかどうかはわからないけれども、すくなくともわたし個人の日常意識は3月11日以前とはちがっている。ではどう違うのかということをかんがえると、自省、内省、沈潜、自閉というような単語が浮かんでくる。大地震が起きて以来、心底おもしろかったりくつろげたり安心したりしたことがない。そして最近の心理状態でこれはやばいなとかんじるのは、さまざまなものごとに興味をかんじられなくなっているようなのだ。毎日は基本的に憂鬱であり、行き止まりであり、出口が見つからない。日本人の最近の生活行動の傾向は外出が減り、家ですごす時間が増えているということらしいが、これは思考の傾向にもあてはまるだろう。自分についていえば、消費が楽しくない。無駄と浪費が疎ましい。浪費やぜいたくは悪であるという意識もある。その背景には、社会そのものがサバイバーズギルトに苦しんでいるということがあるかもしれない。
思い返してみると、いまの社会の繁栄は所詮、砂上の楼閣にすぎないと思いながら何十年も生きてきた。なにも起きないことが前提の丸腰の社会を容認する意識が戦後の日本をおおっているという嫌悪感、そのことに対する不適合の感覚がずっとあった。こういう意識にとっては地震のあとの社会状況にもそこに生きる自分の自画像にも違和感はない。

ところで、これはごく個人的なことだが、ここ半年以上文章らしい文章を書いてこなかった。自分の中で文章を書く行為そのものが失われかかっていて、焦燥をかんじながら抜け出すことができなかった。書きたいと思っても手が動き出さなかった。もっともそれほど偉そうに言う資格はもともとわたしにはなくて、これまでもながい時間をかけて本当にわずかな表現をようやく搾り出してきたにすぎない。きわめて生産性が低かったわけで、いったいなにをしていたんだという文句のひとつも言ってやりたいところだ。それでもすこしまた書きたいという気分がしてきている。
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by hatano_naoki | 2011-06-11 08:04 | 日日
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