ちいさな一軒家がほしい
ちいさな一軒家がほしいと思っている。
住む空間はそこそこひろいほうが快適なのは当然だが、実際にはしごく小さくて狭い住宅はたくさんある。たとえば最近の建売住宅では10坪ちょっとの敷地にむりやり3階建の木造住宅を建てるようなやりかたが横行している。このように一般に狭小な住宅は狭い土地に家を建てざるをえないという制約の結果として狭小になるわけで、狭小な住宅をつくることが目的ではないはずだが、一方で制約の多いちいさな土地に建てる家を構想し設計するという作業は建築家の想像力をいたく刺激するらしく、狭小住宅というひとつのカテゴリーがあるようにさえ思える。そしてわたしにとっては限界的に狭小な住宅というのが自己目的化していて、小さな小さな家をつくって住んでみたいという願望にずっととりつかれている。狭小な住宅に対する偏愛だ。
ところでどれくらいの広さを狭小というのか。定義はあいまいだと思うけれども、見たとたんになんて小さいのかと感嘆するかどうかがひとつの基準だとは思う。それに加えて狭い空間で生きるセンス、哲学、生活のノウハウといった知的なもろもろが感じとれるかどうかも鍵だ。その意味では建売の狭小住宅は志がかんじられないので仲間に入れたくない。
トインビーではないが、土地の狭さという挑戦に対してどのように応戦するか。そこに設計者あるいは建築主の世界観とか人生観とかが現れてくる。こういうストーリーがみえないと、それはただのせま苦しい家ということになってしまうだろう。
センスのいい狭小な住宅をについては、ネットをすこしさまようだけで相当量の情報が手に入る。狭小住宅が専門と思える建築家さえみつかる。狭い売地をさがすのは大変かもしれないが不可能ではないだろう。つまり資金さえあれば実現可能な夢といっていい。もちろんここが一番の問題ではある。
これまで住んできた家を数えてみたら、いま住んでいるのは8つ目だった。木造の一軒家が4つ、木造アパートが2つ、コンクリート造の集合住宅が2つ。一番狭かったのは高校生のとき短期間住んだ木造アパートの3畳の部屋だった。
ところでわたしがイメージする狭小住宅は、たとえばこんなかんじだ。
土地は10坪以下、できれば8坪くらい。限界まで小さい家にしてみたいからだ。
8坪で家が建つかというとそうとうきびしいといわざるをえないが、実際に建てられている事例があるしやってみる価値はある。8坪で建ぺい率が6割ならば建坪は5坪弱。2階建ならのべ床面積は9坪を下回る。この中にトイレ、お風呂、台所、玄関、収納スペース、階段などを収めなければならないから、リビングと寝るスペースでせいぜい7、8畳だろうか。ワンルームマンション程度の広さの一軒家ということになる。
なぜこんなに狭い家に住みたいかということだが、まずその狭さが愉快だという感覚がある。狭い空間に住もうとすると家は装置に近づいていくはずだ。空間の活用からいってもヨットや宇宙船に似てくるにちがいない。一方でその家の住人が価値を認めている要素が極小化されずに相対的に大きな空間を占めることも考えられる。トイレでのんびりするのが大好きだというひとがいるが、こういうひとが住人になったならば家の大きさとは不釣り合いな大きめのトイレ空間がしつらえられるかもしれない。わたしならば風呂桶は入れない。するとシャワールームはとても狭くて済むはずだ。こんな具合に住人の生活のしかたを反映させることで、ただ単に住宅の設備を小さく狭くするというのではなく、取捨選択を行なうことになっていくはずだ。なにを残し、じゅうぶんなスペースを与えるか。なにを削ってスペースを節約するか。それらはすなわちそのひとのイメージする生活とはなにか、価値を付与している要素はなにかを明らかにすることになる。
住宅内で上下方向の移動の多い家(つまり現在の住まい)に長年住んでいると、決して住みやすいとは思えない。個人的には住宅は平屋が理想なのだ。ところが狭い土地に建てられる家は必然的に縦に伸びていき、塔のようなかたちになりやすい。狭小住宅なのに縦に伸びるのはいやだというのは無理があるわけだ。しかしこのへんは工夫次第だという気がする。勉強のために狭小住宅を見てまわるのもおもしろそうだ。
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by hatano_naoki | 2011-07-07 22:11 | 日日
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