「だったり」症候群
ことばは時代時代に変化していくものだということはわかっているし、時代のはやりが気に入らないのは老齢化のあかしだというのもよくわかる。
しかしどうにも気に入らないのがいくつかある。

「になります」は論外として、「だったり」とか「であったり」が気になる。
これらは最近は非常によく使われる表現になったけれども、なぜ気になるかをかんがえてみて、そのあいまいさ加減が許せないということだと気がついた。使うひとは意図的に使うわけではなくとも、こういう朦朧とした表現によってなんとなくまろやかな言辞になるということだろう。使われ方をみていると、「であったり」というのはいくつかの例示の冒頭に置かれる表現であるはずなのに、そのあとにつづく複数の例示が省略されることも多い。むしろつづくことは稀だという気がする。
これはどういうことだろうか。たぶん、さきに書いたように意味はあまりないのだ。「になります」に特徴的にあらわれているように、いくらかながく言うことによって場の緊張が和らげられる。「カレーです」より「カレーになります」のほうが間がもつわけだ。「だったり」「であったり」にもこういう「長く言う効果」があるような気もするのだが。
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by hatano_naoki | 2011-07-11 18:58 | 日日
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