さびしい記念碑
d0059961_1510413.jpg国立民族学博物館(通称民博)は千里万博記念公園にある。
この公園はその名の通り1970年に開催された大阪万博の跡地であり、大規模施設である民博は跡地利用における知の中核施設といえよう。
モノレールの「万博記念公園」駅で降りて以前から見たかったこの博物館に行くために小雨の中を歩いていった。エキスポランドは人気があるようで多くのひとびとがそちらを目指すが、中国高速を越えて公園を目指す人影はまばらである。

公園のゲートを通過して民博に向かうと、万博の残した記念碑のひとつである岡本太郎作の「太陽の塔」が迫ってくる。
この奇妙な塔の評価は賛否両論だったと思うし、私自身も否定的だった。しかし35年が経って公園となった広い空間にひとつだけ立っている巨大な塔の前に立った私は思いがけない感慨を抱くことになった。この塔がある種の悲しさとかさびしさを漂わせているように思えたのだ。

その理由は明快だ。
ここは万博の会場跡地である。のべ約6421万人もの入場者を迎えた場所からこの塔を除く施設のほぼすべてが取り払われた。今私たちが見ることができるのはこの塔を除けば「お祭り広場」の上にとりつけられていた幅108メートル、長さ292メートルもの大きさを持つ屋根の構造を支えていたフレームの一部などにすぎない。
短期間にせよ多くのひとびとのエネルギーが集中した場所が今はほぼ無人の空間になっている。その目撃者である記念物がこの「太陽の塔」であるという意識が私の中にある。

私個人は大阪万博を特に高く評価しているわけではないが、日本が懸命に働いて豊かさを手に入れる過程であの博覧会が象徴的な存在であったことは否定できない。私もその現場を見たひとりである。
私が大阪万博に行ったのは夏の暑い時期だった。20代前半だった私は逆瀬川にあった親戚の家に泊まり、電車を乗り継いで会場に向かった。広い会場を歩き回ったが何かに感動をおぼえた記憶はない。混雑のために人気のあるパビリオンには入場できず、人気のない小さなパビリオンのいくつかを見るだけだった気がする。万博の熱気は感じたものの、その歴史的な意義を感じるには至らなかった。

公園を歩きながら記憶をたどってみたが、万博会場の記憶はよみがえらなかった。ただ、かつての戦場をあるくような気分がした。
「太陽の塔」は背後でしだいに小さく遠くなり、私は孤独な塔のことを忘れて次第に近づいてくる民博で一体何が見られるのかわくわくしはじめる。
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by hatano_naoki | 2005-08-16 13:58 | 日日
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