facebook
facebookに登録したのは、タイムラインによれば2008年5月20日だそうだ。
それからずっと放置していたのが、昨年秋あたりからちょっとずつ投稿をはじめて友達が増えはじめた。
ではなんでfacebookやってるのかということだが、基本的にはここ二十数年来ネットでなんらかの存在表明をしてきた性のようなものがあり、ごくみじかいものであっても自分の意識のうごきをネット上にひっかき傷のように残しておきたいという衝動があるのだと思う。
しかしむかしのような強い感情をネットにぶつけようという気分はなくなっており、ネットに残すのは気がつかなければ聞くこともできないほどちいさなつぶやきだけになっている。
それでもいくらかのよろこびがあるのは、そこにかすかではあるが今があるからだ。
今にふれているという、ほとんど妄想ににた意識。
どんなささいなことであれ、それをネット上の文字に置き換えるというのは一種のトレーニングだと思っているのは、わたしにとってのネットはずっとそのように機能してきたからだ。
facebookもその意味ではこれまでに経験してきたプラットフォームとおおきなちがいがあるわけでもない。特にひどいとは思わないが夢のようにすばらしくもない。そこに、とりたててすばらしいわけでもない庶民としての日常とそこでのちょっとした心のうごきをみじかい文章で書きとめる。
こういうとずいぶん否定的でシニカルに聞こえるかもしれないが、断続的であれ書くことをやめていないのは、わずかではあっても意味が見いだせているからにちがいない。
人間はどんなささいなことであれ、それによって日々を刻む感触をたしかめることができる。facebookはそういう日々のよすがのようなものかもしれない。
facebookをみていると、これはわたしの周囲だけの傾向かもしれないが、ネガティブなことを書くひとはあまりいないような気がする。むしろほほえましいこと、うれしかったこと、ささやかな自慢などが開陳される。
世界のどこかから電報で I am still alive というおなじ文面をおくりつづける、河原温のよく知られた作品がある。
facebookをみながら、ああ、なるほど、これは大衆にとっての I am still alive なんだなとわたしは思うのだ。
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by hatano_naoki | 2012-04-15 06:17 | ネットとデジモノ
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