ことばの神さま
私でさえ、ときとしてことばの神さまが近くにいると感じる瞬間がある。そのとき、自分の尺度では最上級に属する幸せを感じる。
ところでここ二年ほど、ひとつの原稿にとりつかれている。
この原稿に膨大な時間を吸い取られている。その割に内容にも原稿量にも満足がいかないという、いわば最悪の状態が続いている。実際にはそれほどおおげさな話ではなく、進み具合がおそいというだけなのだが。

ここ何年か、ことばの神さまはあまり近くにはいなかったようである。
しかし書くという作業は私の内部に埋め込まれている。書かないということは考えられない。書くことは呼吸のようなものだ。書くことで自分が救われる瞬間も経験してきた。
ではどうすればことばの神さまを呼べるのだろか。
ごく最近になって、ことばの神さまがどこかにいるのではないかという気配を感じた。自分の分析では、それはここしばらくの私の感情生活の結果である。私の見たもの訪れた場所会ったひとの記憶が醸成されつつあるという予感である。
結局のところ私は体験型であり、書斎に生きる人間ではない。何かをすることで触発され励起するものがある。

気配を感じることばの神さまとの付き合い方だが、神さまが姿を現すまではおそらく私の感情生活ができるだけ刺激的であることが肝要だ。それはまるで神さまを呼び出すための儀式の様相を呈する。おそらく私はことばを得るためには魂を売り渡してもかまわないと思っているのだ。
[PR]
by hatano_naoki | 2005-08-20 06:32 | 日日
<< ジェノサイド 聖母(マドンナ)たちのララバイ >>