沖縄勉強ノート(8)「沖縄の歴史と文化」(外間守善著)
d0059961_945545.jpg「沖縄の歴史と文化」(外間守善著)を読み始めた。
以下は、誤読や誤解をもふくむ私なりのまとめである。



沖縄といっても、安易にひとくくりにすることはできないようである。
奄美と沖縄本島を中心とする地域(中部圏)は縄文文化の強い影響を受けて形成されるが、しだいに土着化して独自の文化を作り出していった。
宮古・八重山地域(南部圏)には日本本土の縄文・弥生文化の影響は認められない。むしろ南方系要素の強い文化である。

「琉球」とは中国の史書に見える呼び名である。初出は1372年、明の太祖の時。面白いことに日本もこれに従って琉球と呼ぶようになる。
オキナワの初出はもっと古く、779年。やはり中国の史書に現れる。オキナワという音に沖縄という文字をあてただけのようである。土地に古くから存在したことばのようである。

琉球の統一は1429年、第一尚氏王朝時代のことである。交易を国家の基盤とし、首里を王都に、泊、那覇港を対外的な門戸とした。また帰化人を重用した。
第二尚氏王朝時代になると宮古・八重山を平定し、また旧来の信仰を再編し、明への朝貢を推進した。
宮古・八重山の平定は、日本の文化圏に属する沖縄本島と南方文化圏に属する宮古・八重山を政治的に統合したと見ることができる。

琉球は16世紀半ばまで中国や東南アジア、日本、朝鮮と中継貿易を行う独立した存在であったが、その後没落してゆく。
その理由は東南アジアへのヨーロッパ勢力の侵入による貿易拠点の消滅と、中国が冊封体制・海禁政策を転換し、自ら海外貿易に乗り出したことによる。

沖縄は日本の一部でありながら中央の政治的干渉を受けない地域だった。
しかし17世紀初頭、薩摩が干渉し、さらに武力で制圧するにいたる(1609年)。直接的な目的は琉球王国の経済的利権の収奪にあったが、背景には幕藩体制の伸長、薩摩の経済的窮乏があり、琉球の内部では中継貿易の衰退があった。
薩摩は武力制圧の後も王国を解体せず、中国との冊封体制を続けさせた。王国の傀儡化である。
これによって琉球は中・近世的社会の成熟の機会を失い、古代的なものを抱え込んだまま近代に強制的に移行することになる。

明治維新になると琉球国は琉球藩に、国王は琉球藩王となって統一国家に組み込まれる。台湾出兵によって沖縄は対外的にも日本の一部となり、さらに清国との冊封関係を断つことを余儀なくされる(琉球処分、明治12年)。

琉球処分の翌年、清国との交渉に際して、宮古・八重山を清国に譲る案が日本側から出された。辺境である沖縄に対するこうした見方、扱い方は現在にいたるまで続いていると見られる。



こうしてみると、沖縄が現在抱えている諸問題の多くが「薩摩入り」とその後の「琉球処分」に発していることを改めて感じるし、沖縄の魅力の一部である「露出した古代」の雰囲気が近代の喪失とセットになっていることにも思い当たる。
また私個人の感慨としては、沖縄とカンボジアの歴史的共通項にも思いあたるものがある。はざまに生き、大国と周辺国家の動きに翻弄される。

もうすこし読み進めたい。
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by hatano_naoki | 2005-11-29 09:31 | 沖縄勉強ノート
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