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青色LEDの聖夜
青色LEDの聖夜_d0059961_0392527.jpg駅前を通りかかると、クリスマスのイルミネーションが輝いている。
今年は青と白に輝くツリーが目立つような気がする。かつては豆電球の灯りだったが、今では光源はLEDである。つまり青い光は青色LEDの放つ光である。
青色LEDは実現が困難とされ、特許をめぐる発明者の中村修二氏と元の勤務先である日亜化学の係争が話題になった。2001年のことである。
最近ではLEDは生活のあらゆるところに使われている。中でも青色LEDの普及が目覚しく感じられる。青いLEDは時代の先端の色なのだ。

10数年前、こんな文章を書いたことがある。タイトルは「神々のLED」。



深夜である。
仕事の息が尽き、きょうはこれまでとワープロの火を落とし、あちこちの電源をオフにする。部屋の明かりを消して寝室に下りていく。これが毎日の繰り返しである。階段を下りがけに振り返るとひとつふたつの小さな赤い点が部屋のあちこちに見える。LEDの赤い色である。
仮に。部屋にひしめく電子機器の全ての火を落とさずに部屋の明かりを消してみたら?
電話、ワープロ、ファックス、パソコン、モデム。数えてみたことはないが仕事の部屋には数多くの電子機器がある。そのそれぞれに実に多くのLED表示が用いられている。色も様々である。赤、緑、黄。それらの色はユーザーであるわたしに機器の状態を伝えてくる。
LEDの色と数はいわば機械からの報告である。それらの報告を特に意識せずにしかし視野のどこかに置きながら仕事をし、思いにふける。都市の街路は情報に満ちているが部屋の中のLEDもそれに劣らず華やかで饒舌である。
これらの明かりはもしかすると部屋の中でひとりで仕事をするわたしにとっての雑踏であり都会の喧騒である。情報からの遮断は不安を増長する。LEDの明かりは過剰な情報がこの部屋にまで到達していることの象徴であり、ひとり部屋にこもってなにかを作り出そうとする者にとっての街路灯である。
部屋の明かりを消す。
窓の外を見ると新宿西口の高層ビル街区が見える。ビルの窓の大半は暗く、その輪郭が暗い空にうっすらと浮かび上がる。
ビル群にまぶされた星。
赤い明かりがいくつもいくつも点滅している。点滅しない明かりもある。そのあたりが星空のように見える。赤い星の集まった星雲のようである。
機器の火を入れたまま部屋の明かりを消してみる。
すると部屋の中に赤い星、緑の星が現れる。明滅しない蛍のようにも見える。掌の中の星である。
もう深夜。
機器の火を落とし部屋を明かりを消して階段を下りていくとわたしの部屋の赤い星の群は束の間の眠りにつく。
窓の外の星は明滅を続け、朝を迎え、また夜となり。



この文章は1992年か1993年に書かれた。当時はLEDは赤か緑(黄緑)か黄と相場が決まっていたのだ。
今やLEDは世の中にあふれて偽もののモミの木までも覆い、あまりにもまぶしくきらめく青い光で埋め尽くす。青い光は神秘的で聖夜にふさわしい。雑踏の中で静謐な雰囲気を醸し出し、なぜか聖夜を自分たちの恋のクライマックスだと思い込んでいる恋人たちをも明るませる。
by hatano_naoki | 2005-11-30 00:02 | 写真日記
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