死の意匠~ダンディズムについて・その3~
まったく偏狭な視点だが、ダンディズムというのは基本的に死と関わっていて、死を賭けた生きかたをしている者のみに許された美的な行動様式であると思っている。
おしゃれに集中して入れあげる人物はダンディではない。なにか大義があり、それを装うものがダンディズムであって、中身のない人物に精神のおしゃれはふさわしくない。
戦国時代の武将はうっとりするほどのおしゃれだったが、それは死の美意識に裏打ちされていた。死が美しい装いを呼び寄せたのだ。しかし平和な時代が訪れると死によって研ぎ澄まされていた美意識は目的を失い、好事家の趣味に堕していった。
まして現代は英雄の時代ではない。ダンディズムは商業主義の提案する欲望の一部となり、実践するものではなく憧れて夢想するものになった。あるいは消費の一部として安全に模倣するものになった。
ファッションとしてのダンディズムはいつもデザインの源泉であるライフスタイルのかっこいい部分をことさら夢見る。何事もきれいごとだけで成り立っているわけではないが、ダンディズムはオリジナルからきれいごとだけをすくい取って美意識によって再編成しようとする。
こういう文脈においては死もまた意匠の一部だ。本当に死に向かうわけではないのに、死を意識する時代とそこにおけるある生き方をファッションとして再現したりもする。
ファッションは基本的には自己表現であり創造かもしれないが、大衆にとっては多数の中に埋没する心地よさであり、自分で考えなくとも提供される安楽な殻である。ときにはそこにひとかけらの自分らしさを振りかければいい。その意味では狭義のダンディズムであっても模倣を拒否するはずだ。
考えるに、私たちはいつもオリジナルを夢見ているのだろう。これはダンディズムとかファッションだけの問題ではない。ここでいうオリジナルとは私たちの生き方とか行動の中でもっとも根源的で純化された部分をイメージしている。
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by hatano_naoki | 2005-12-05 18:00 | 日日
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