SONY彷徨
ここしばらくSONY製品を買っていないことに気がついた。
理由は簡単で、買いたい製品が出ないから。
SONYの凋落を指摘する声が出始めてからずいぶん経つが、企業としての内実が見えない私はその製品からSONYの現状を推し量ることになる。
消費者とか大衆とはそういうものだろう。
私は"筋金入りの"SONY信者だったと思う。中学のとき最初に買ってもらったポータブルのトランジスタラジオに始まり、VIDEOデッキ、初代WALKMAN、パソコンなどのほぼ全てがSONY製品だった。それらの製品には一種の強引さがあって、製品としての完成度を無視したり普及するとは思えない新メディアを提案したりと、製品開発に対する自信と豊富な開発費を背景にしたやりたい放題の雰囲気があった。SONY製品は好きだったが、その仕様や製品からの提案に自分たちが消費者よりも上だというある種の傲慢さが潜んでいたのも事実だ。

あるとき、なにか変だな、と思う。
しかし小さな変調だ。成功体験はゆるがない。
やがて変調は本格的な販売不振になって顕在化する。
そのときには事態は洪水のような圧倒的な圧力となって抗うこともできない。
成功体験は木っ端微塵になり、それでも成功しか経験していないひとびとには手のうちようがない。
こうなると巨体が災いする。

消費者は企業に忠誠心を持つことはない。私もそうだ。SONYは大好きだったが、それは製品が提案しイメージさせる新しい世界が好きだったからだ。ダメな製品は買わない。
いまだにSONYにはある種の幻想を持っているが、最近はその幻想が製品によって確認されることはほとんどない。
企業組織論やマーケティングなどどうでもいい。製品がダメなのだ。
SONYの彷徨は、どんなに優秀で強い組織でも自壊することがあると教えてくれる。してみるとこれまでのTOYOTAのケースはおそらく奇跡みたいなものなのだ。
SONYが復活するか更に衰退してゆくかは興味深いところだ。私と同じようにいじわるなウォッチャーは世界に存在するにちがいない。
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by hatano_naoki | 2005-12-14 09:10 | 日日
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