沖縄勉強ノート(30)ガマのこと
沖縄戦の記録を読んでいると、ガマの中で多くの悲劇が起きたことがわかる。
ガマとは沖縄の方言で自然洞窟・鍾乳洞(横穴)、岩の窪み等を意味する。また縦穴洞穴または窪みの場合はアブ、内部に湧水がある場合はガーと呼ばれる。ガマは琉球石灰岩の広く分布する地域、たとえば沖縄本島南部に多い。
ガマは戦闘でで逃げ場を失った住民の避難場所となった。また日本軍も軍事上重要な防御拠点として位置づけていたようである。
沖縄戦の舞台となったガマについては以下のウェブサイトに実に詳細な情報がある。

沖縄戦とガマ(壕)
沖縄のガマ情報館
ガマ~命の宿~

ガマは米軍の攻撃からの避難所となったが、住民にとって悲劇だったのは日本軍兵士と同居だったケースが少なくなかったことだ。
日本軍はガマに隠れた住民が投降するのを許さず、投降しようとする人を殺害したし、敵が迫ってくると手りゅう弾などでの集団自決を強要した。またガマから住民を追い出したりもした。
米軍はガマの内部にいる人々を火炎放射器などで殺したし、入口をふさいだり手りゅう弾を投げ込んだりもした。ガマのひとつひとつがそれぞれ別の顔を持つ悲劇の舞台となった。
ガマは狭くて暗い閉鎖的な空間である。逃げ道はない。そこに人がひしめき、自暴自棄になった兵士が武器をかざして住民を恐怖で支配する。生死を分けるのは小数の人たちの間の心理的な交換、集団としての心理、ちょっとしたことばや行動、ひとの組み合わせ、そして重要なのは持ちえた情報の多寡だったにちがいない。

ガマは戦前までは飲料水の水源地(ガーの場合)、洗濯場、食料倉庫、拝所、ゴミ捨て場などとして使われたという。身近な存在、生活と密接に関わっている場所だったわけだ。
それが沖縄戦では避難壕、野戦病院、陣地、軍隊の食料倉庫・弾薬庫・資材倉庫、住民の食料庫などに使われることになる。
日常の風景の一部であった場所が殺人や集団自殺の場へと変貌してゆく。戦争の持つ"場を変転させる力"によって死の影を帯びてしまった場を浄化し、かつての共同体の幸福な記憶の一部へと組み変えてゆくための努力がどれほど大きなものか、あるいは不可能なのか、想像もつかない。

(参考)
轟ガマ、沖縄師範健児の壕のQuickTimeVR画像
(このページには旧海軍司令部壕(幕僚室)のQuickTimeVR画像もある)
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by hatano_naoki | 2006-01-26 18:40 | 沖縄勉強ノート
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