ホリエモンの恍惚
ほぼ一年前、当時のオンライン日記にこんなふうに書いた。

「ニッポン放送株買収が大きな話題になっている。ライブドアの経営者の若さに期待する声が大きいようであり、守る側は政治家や官僚も含めて今や守旧派呼ばわりされている。
しかしこれは単なる企業買収であり、制度にいくらか抜け道があったということに過ぎない。合法的な抜け道を探して利を得るのは事業としては当然のことだ。フジサンケイグループはニッポン放送という絡め手を放置していた責任があるわけで、いわば自業自得である。
一方ライブドアが時代を変えるかといえば特に新しい思考・新しいスタイルがあるとは思えない。その意味で「守旧派」との違いはほとんどない。
なにより浅薄に感じられるのはインターネットについての認識だ。インターネットはただのメディアにすぎず、インターネットが他を飲み込むというような古色蒼然とした主張を繰り返す堀江は古いというのが私の印象だ。」

もちろんこの時点ではホリエモンの正体には気づいていなかったわけだ。
ホリエモンの危うさをいくらかでもつかんでいたメディアが皆無だったとは思えない。
さまざまな理由でホリエモンを恨んでいる人物はいくらでもいたはずだし、彼らの一部はマスコミにリークしていたに違いない。しかし糾弾記事を書くマスコミは現れなかった。
これは不思議なことだ。なぜ書かなかったのかが知りたい。
一方、検察にとってはマスコミが動かなかったことは幸いだったに違いない。
それがいまやどこでもホリエモン全否定の合唱ばかりでうんざりする。事業も私生活も過去もなにもかも丸裸にしようという勢いである。人間は他人の凋落と不幸が大好きなのだ。
ホリエモンを見ているとオウムの麻原やポル・ポトを思い出してしまう。
裸の王様の系譜だ。力に魅入られたという一点で構造的な相似を感じるのだ。
ライブドアの新経営陣の記者会見は組織の革新と過去との決別を訴える点で麻原逮捕後のオウム新体制の記者会見にそっくりだった。
ホリエモン、麻原、ポル・ポトに共通するのは本人が思いもしなかった力を持ってしまい、さらに力が力を呼んで巨大な力の渦を作り出していったことだ。優秀な側近に恵まれていた(らしい)ことも共通している。
ただのひとだった彼らはやがて普通の人ではなくなってゆき、権力と革命の幻想の中に生きるようになってゆく。麻原やポル・ポトの名を持ち出さなくとも、ある人物が"想定外"の巨大な力を付与されたときに起きるこのような現象はケースとしておそらく無数に存在するに違いない。
個人的にはホリエモンには何のシンパシーも感じないし、どうなってもかまわない。彼が時代の象徴かどうかも怪しい。しかしちらっと思うのは、自分がホリエモンの立場だったらどうだろうということだ。
小さな渦が次第に大きくなるのを見つめる幸福は急速に不安に変わるに違いないが、やがて自分が自分でなくなってゆく快感のようなものを知ることだろう。神がかりのような意識、神か悪魔かわからないが自分でもコントロールできないほど大きな力が自分に味方しているという自覚。
想像しただけでゾクゾクする。
社内の権力構造が明らかになってくると、ホリエモンが真の権力者だったのかどうか、多少の疑問が浮かんでくる。ポル・ポトは実はナンバーワンではなかったんだ、というウワサに似ている。私の憶測によれば、ホリエモンはナンバーワンの権力者であると同時に社内で操られていた。そういう二面性を持っていたと思う。これは大きな力を持った者によく見られる属性に思われる。
いくつかの証言は彼が途中から変化していったことを匂わせている。凡人が怪物に変貌してゆくのだ。それはもちろんその人物の内部で起きる変化だが、一方で時代がこういう人物に託して何かを語ろうとしているという解釈もできる。
ホリエモンが本物かニセモノかはまだわからないが、どっちにせよ、時代に操られた人形のように見える。
[PR]
by hatano_naoki | 2006-01-30 17:51 | 日日
<< 沖縄勉強ノート(33)闇の世界 "The Khmer... >>