ポル・ポト時代についての疑問のひとつに、この時代に一体どれくらいの国民が犠牲になったのか、というのがある。
最近では約170万人という数字がよく使われているようだ。 犠牲者の数については複数の研究者や機関がさまざまな推測を発表している。 今読んでいるのはBruce Sharpという研究者の文章だが、なかなか面白い。 まずこれまでの主な研究を紹介し、それらがどのように死者数を推定したかを述べ、方法論的欠点とか、他の研究者からの批判などを紹介する。 現時点ではポル・ポト時代の死者の推定数は最小で約70万人、最大で約330万人。推定にあたっては人口調査、難民へのインタビュー調査、人口統計資料、DC-Camによるmass grave調査などが用いられている。 しかし、こうした基礎数字自体があいまいである。たとえばポル・ポト時代以前のカンボジアでは全国規模の人口調査(国勢調査)は一度しか行われていないという。しかも1962年とかなり古い。ポル・ポト時代がはじまるまでに13年もの時間が経過している。その間の人口増加率をどう推定するかで結果はだいぶ違ってくる。 結局のところ何人が死んだかについて、その数を特定することは極めて困難だといえる。 しかし、死者の数に迫る行為自体がポル・ポト時代を乗り越えることにつながるはずだ。草の根を分けてでも真実に迫るのだ。これは国家事業として歴史的意味を持つが、現時点ではカンボジア政府はこうした行為を考えてもいないようだ。それに近い作業を継続しているのは民間組織のDC-Camだけである。 ポル・ポト政権崩壊後にクメール人民共和国(PRK)が行った調査の結果は犠牲者数の推定としては最大で、当時は政治的プロパガンダだと批判された。これは理屈としては理解しやすい見方だ。 しかし方法論的欠陥があるとしても、PRKはその官僚主義的体質からそれなりに正確な人口把握を行っていたのではないか。「PRKの調査数字は政治的プロパガンダだ」という批判自体が強い政治性を帯びていたといえよう。 一方、当時の米CIAの調査は政治的理由で犠牲者数をなるべく少なくカウントしようとしたために、結果として他と比較して最小の犠牲者数を推定している。 クメール・ルージュは国民の徹底的管理のためにそうとう正確な人口把握を行っていた可能性があるが、そのデータはおそらく消滅しているだろう。 死者の数を数えるという憂鬱な作業とその先にある数字と推計の羅列から、"収容所国家"における処刑のありさまがさまざまに想像される。ただの数字なのに。 ポル・ポトの時代(「アンコール遺跡群フォトギャラリー」) (写真:チュンエクのmass grave)
by hatano_naoki
| 2006-02-22 19:08
| カンボジア
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