米大使、拉致現場を行く
d0059961_2015487.jpg今日、アメリカのシーファー駐日大使が新潟を訪れて横田めぐみさんの拉致現場を視察した。
新潟港にやってきた米海軍艦船の乗組員による地元との交流行事への参加がもうひとつの目的だったが、拉致現場のみを訪問することによる強い刺激を避けたのだろう。
もうひとつ面白いと思ったのは、大使が「大統領に直ちに報告する」ではなく「今度会ったときに報告する」というような言い方をしていたことだ。これも"刺激の回避"だと思える。つまり"刺激"と"刺激の回避"を貼りあわせて実行しているわけだ。
asahi.comの記事
大使は着任当初から拉致問題に関心を寄せていたらしく、視察はたんなるリップサービスとはいえないように見える。大統領に近いこの人物が拉致問題解決に一定の役割を果たす日が来るのかもしれない。
米大使館のウェブサイトにあった大使のプロフィールの一部を抜き出すと:
「名前は、J・トーマス・シーファー(J. Thomas Schieffer)。
2005年4月1日着任。駐日大使就任前は、2001年7月から2005年2月まで駐オーストラリア大使を務めた。
1947年10月4日、テキサス州フォートワース生まれ。テキサス大学オースティン校で政治学学士号(1970)、国際関係論で修士号(1972)を取得。
1972年、25歳でテキサス州議会下院議員に選出され、3期務める。テキサス大学で法律を学び、1979年10月、テキサス州の司法試験合格。弁護士として、商取引、特に投資や石油・ガス関係を担当。
1989年、ジョージ・W・ブッシュおよびエドワード・W・ローズが購入した大リーグ球団テキサス・レンジャーズの経営に投資家として共同参加。1990年、新球場建設の共同責任者となり、さらに91年1月、事業所有者のブッシュおよびローズによって球団社長に指名され、テキサス州のアーリントン・ボールパークの建設および球団の日常業務の責任者を務めた。1994年、ブッシュがテキサス州知事に選出後、事業所有者のポストを引き継ぐ。
1998年6月、球団はダラスの投資家トーマス・O・ヒックスに売却された。1999年4月に、球団社長を退き、球場周辺の不動産開発のコンサルタントになる。米国およびヨーロッパのプロジェクト視察後、2000年5月にヒックスのコンサルタント業務を完了した。2001年7月上院で駐オーストラリア米国大使として承認されるまで、J・トーマス・シーファー・マネージメント社とパブロ事業会社の社長を務めた。」
要するに大統領と同じテキサス州出身の実業家で、ビジネスでも大統領と深いかかわりがあった人物である。政界と実業界を行ったりきたりしているという言い方もできるし、それ自体がアメリカ的だということもできる。
元読売新聞ワシントン特派員で米パシフィック・リサーチ・インスティチュート所長の高濱賛というひとが聖教新聞ウェブサイトで「新任のシーファー米国大使のこと」(2005年2月8日付) という文章を書いている。
これによると、"知日派でもなければ、大物政治家でもない"シーファー大使起用ののキーワードは「(大統領への)忠誠心と実績」だという。ただし、高濱氏は大統領選で寄付した政治資金の額を挙げて「カネで大使を買ったとはとても思えない」と述べている。むしろテキサス・レンジャーズ球団の経営を成功させた手腕を高く評価したということだろう。
高濱氏は「実質的には大統領特使の常駐」だといい、高い評価を与えている。
ここでは高濱氏の意見に対する批判・反論や大使に対する否定的な見方を並置できないので、とりあえずひとつの見方として紹介するにとどめる。
いずれにせよ、大統領とツーカーの人物が日本の大使となり、拉致問題に関心を寄せているわけである。
これは吉か凶か。
いつでも自ら決断できない日本は、アメリカのめくばせがあれば安心して北朝鮮に対する圧力を強めるだろう。大使と大統領との会話の結果が楽しみである。

(写真:シーファー駐日大使)
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by hatano_naoki | 2006-03-16 18:08 | 日日
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