きっこ探し
世間では"きっこ"の存在が無視できなくなってきているらしい。
立ち読みしたある雑誌ではきっこのプロファイリングまで試みていて、きっことはプロファイリングを想定して巧妙に創造された架空の人格らしいというような結論を出していた。
マスコミの興味はきっこそのものに移行しつつあるかのようである。
きっこのブログ」で書かれた野口氏の死に関する記事は面白い。書かれていることが本当のことに違いないと思わせる。その理由はひとつには断定的な文体であり、もうひとつの、そして最大の理由は書かれている内容そのものにある。
大手のマスコミとちがって書かれた情報を信じさせる社会的なしくみの上に存在しているわけではない「きっこのブログ」は、極めて怪しくて真実らしくもある現代的な謎となり、口裂け女や人面犬に似た都市伝説の系譜に織り込まれていくのかもしれない。
警察はおそらくきっことは何者であるのかを捜査しており、名誉毀損や人権侵害を視野に入れているかもしれない。
情けないのは、取材力を誇るはずのマスメディアが野口事件に関してはきっこのお使いになっているようにさえ見えることだ。
なにかがずれてきている。
きっこが何者か、そんなことはどうでもいい。詮索すべき対象はきっこの正体ではなく野口事件の真実であるはずなのに、メディアは相互参照でお茶を濁す負のスパイラルに陥っている。
なぜ独力で取材して真実に迫ろうとしないのか。
きっこが提示した以上の真実がマスコミによって暴かれるなら「きっこのブログ」は急速に色あせるに違いないし、マスコミには本来それが可能なはずである。
仮に巨大メディアがきっこに負けるなら、メディアは権力に成り下がり、その内部で腐っていたと断言してかまわないだろう。
[PR]
by hatano_naoki | 2006-03-19 08:55 | 日日
<< 沖縄勉強ノート(56)第一牧志... 池澤夏樹著「風がページを・・・」 >>