沖縄勉強ノート(65)続・浮島のこと
d0059961_22524360.jpg那覇の古い時代の地形(推定図)を現代の那覇の地形と重ねる作業は面白い。デジタル化した過去と現在を重ねるわけだ。
作業にあたってはいくつかのランドマーク、たとえば波の上宮、崇元寺、仲島の大石、御物城(おものぐすく)、三重城(みえぐすく)などが基準点になる。
ただ元となる古い地形のデータの正確度がどの程度かがわからないので、そこから出てくる答もどこまで信用していいかわからない。
いずれにせよおおまかな海岸線の位置は推定できるので、現時点ではそれでよしとしなければならないだろう。
浮島についてできるだけ定量的に理解したいと思い、自分の作成した地図をもとにしてごくおおまかな数字を算出してみた。
「1700年以前」の浮島は現在の松山公園付近を中心とする東半分と波の上宮、三文殊公園、天使館や親身世のある中心部、そして久米大門付近を結ぶ西半分のふたつの島がくっついたようなかたちをしている。
大きさは東西が約1.1km、南北約0.9km。約1平方キロということになる。これが浮島がもっとも小さかった頃の大きさであるのかどうかはわからない。おそらくこの時点でもすでになんらかの埋め立ては行われていただろうと思う。
このうち天使館、上下の天妃宮などがあった中心部はおよそ400m×200mの広さがある。現在の久米2丁目付近にあった入り江は奥行き約400m、幅約200mと推定される。
浮島と陸地(現在の国際通り側)との間の海面は狭いところで幅約350m。この「海峡」がその後約150年をかけて埋め立てられてゆき、現在の久茂地川が形成される。
浮島と崇元寺付近を結んでいた長虹堤の長さは約1km。
本島側では、現在のガーブ川下流にあたるかつての入り江の奥行きは約1.2km。幅は狭いところで約100m、広いところで約300mある。

d0059961_20514026.jpg参考にヴェネツィア本島についても調べてみた。
ヴェネツィア本島の現在の大きさは東西約4km南北約1.8km。昔は一回り小さかったに違いない。東西約2.5km、南北約1kmというところだろうか。ヴェネツィアの方が2倍は大きかったということになる。ベネツィアに人が住み始めた頃を考えれば、ごく小さな浅瀬しか存在していなかったはずだ。ヴェネツィアの土地の大部分は海底に木の杭を打ちこんだ上に石を載せて人工的に作り出したものだ。
浮島とヴェネツィアにはいくつかの共通点がある。陸地に近い島であったこと、交易拠点として栄えたこと、塩作りをしたこと(ただしヴェネツィアはその歴史のもっとも早い段階で塩づくりをしたが那覇はおそらく江戸末期にいたって塩田を埋め立てによって作り出した)。
いずれにせよ、王府時代の那覇を想像すると、国際的で活発な都市国家的なイメージが湧くのだが、これは正しいだろうか?

追記。
浮島の周辺の海では特に東側が浅かったようである。潟原(かたばる)と呼ばれていた。そのために長虹堤を築くことが比較的容易だったし、後になって埋め立てによって塩田を作ることも可能だった。広大な潟の存在もベネツィアを彷彿とさせるものがある。

(写真上:崇元寺側の陸地から見た浮島 下:陸地から見たヴェネツィア本島)
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by hatano_naoki | 2006-04-08 22:47 | 沖縄勉強ノート
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