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沖縄勉強ノート(71)古琉球と近世琉球
高良倉吉著「琉球王国の構造」を軸に、古琉球から近世琉球への遷移についてのメモを作ってみた。
まず定義の確認から。
琉球とは、厳密には奄美大島から与那国島に及ぶ島嶼群であり、奄美/沖縄/先島の三地域に分けられる。琉球史とはこれら三地域の歴史の統一的把握を目指している。
歴史区分は先史時代(数万年前~12世紀頃のグスク時代のはじまりまで)、古琉球(12世紀頃~1609年の島津侵入まで)、近世琉球(島津侵入から~1879年の琉球処分まで)、近代沖縄(琉球処分~沖縄戦まで)、戦後沖縄(沖縄戦終結~。更に復帰前/復帰後に分ける場合が多い)。

古琉球から近世琉球への遷移の直接的な原因は島津侵入である。
高良によれば、古琉球末期の第二尚氏王朝尚真の時代に大きな変革が行われた。
王権の絶対化を目指すさまざまな方策(職制位階制の整備、神女組織の整備、按司の首里集住策、地方統治の強化、玉陵・円覚寺などの造営事業)が実施された。これらは中国皇帝の王権をモデルとしたという。
島津侵入は古琉球から近世琉球への遷移をうながしたが、こうした時代の流れの中で古来の祭祀国家から脱皮して合理的な思考に基づいて島津の支配を現実として受け入れつつ琉球王国の国家体制を立て直してゆくという困難な事業を実行したのが向象賢であり、その路線を受け継いで確立したのが蔡温だった。ここにいたって近世琉球の枠組みがたしかなものになる。
こうした時代の変化を琉球の海外交易とのかかわりで見てみると、琉球の海外交易がはじまるのは1372年、察度の時代であり、明の冊封体制下で隆盛を誇った。16世紀に入るとポルトガルやスペインの進出、明の衰退といった環境の変化が起き、16世紀後半までにはほぼ途絶えるが、島津の支配が始まると交易は17世紀半ばまでにほぼ回復する。

高良の本を読んでの感想は、高良自身が琉球のアイデンティティの回復を強く意識しているということだった。
琉球王国の面白さとは琉球がまさに独自の文化を持った小さな独立国家であったことにある。
古琉球ということばは伊波普猷が作ったが、このことばには単なる歴史用語にとどまらず沖縄の古い時代に対する愛惜がこめられている気がする。
琉球王国なるものについてもうすこし勉強してみたい。
by hatano_naoki | 2006-04-24 00:34 | 沖縄勉強ノート
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