「定家明月記私抄」「定家明月記私抄続編」を読む
d0059961_1622989.jpg世上乱逆追討耳ニ満ツト雖モ、之ヲ注セズ。紅旗征戎吾ガ事ニ非ズ。

私はずっと昔、おそらく安西均の詩を経由し、堀田善衛の「定家明月記私抄」によって、この語句に出会ったのだろう。だから私のこの語句に対するイメージは安西の詩と堀田の「定家明月記私抄」冒頭の文をないまぜにした借り物であるといわざるをえない。
それにしても19歳の定家のなんという矜持。
奇異に聞こえるかもしれないが、堀田が戦争中の自分の心理と重ね合わせて定家に近づいていったのに似て、あるとき私も定家の気分が分かる気がしたのだ。それは定家という人物がいわば"等身大の詩人"であって、それを堀田が喝破したからだ。定家に自分自身を見るひとは少なくないに違いない。結局のところ、堀田の手助けによって、私は定家そのひとに惹きつけられているのかもしれない。
行き倒れた民衆の屍の臭いが屋敷のうちにまで漂ってくるすさまじい時代に典雅な歌を詠む定家という人物は私自身である、と。
明月記に記された定家の行動に関する堀田の描写を読みながら、私は自分が書く行為に思いのほか依存していることに気づく。書くことは私を支え、また私を引きずり落とす。少しでもいいものを書きたいという願望は消えていないが、息絶え絶えになってもいる。落胆と恍惚の両極端を味わいながらも、書く行為から去ることができない。いや、去る気がない。
明月記そのものを読むのは私には至難だ。堀田に教えられながらいくつかの語句をようやくおぼろげながら理解するにすぎない。それにしても漢文脈の美しさというものを私は味わうことなくおとなになってしまったことを少し後悔する。私の文章が硬いのは漢文脈への憧れが潜んでいるからかもしれない。

写真:定家「明月記」原文。「世上乱逆追討雖満耳不注之 紅旗征戎非吾事」の部分を示す。
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by hatano_naoki | 2006-05-25 19:16 | 日日
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