「カンボジアわが愛」と「カンボジアの戦慄」
「カンボジアわが愛」(内藤泰子著)と「カンボジアの戦慄」(細川美智子・井川一久著)を読んだ。どちらもカンボジア人と結婚してプノンペンに住んでいた日本人女性で、クメール・ルージュのプノンペン制圧時に他の人々と同様に地方に追放され、ポル・ポト時代が終わるまで過酷な生活を経験した。どちらも自分の目で見た事実のみを書き綴っている点で記録としての価値が高いと思われる。それは彼女たちの置かれた環境からいって当然のことで、サハコーの外の世界の情報は一切絶たれた状態だった。実に巧妙な大衆の管理である。憂鬱な読書だ。悲惨な描写の連続。「カンボジアの戦慄」は初版7千部だったが発行後数カ月で著者の了解なしに絶版となり、残部数は廃棄処分になったという。なにかの力が働いたと考えるのが自然だろう。
当時の日本の状況を考えるとき、いわゆる親中国派の存在を忘れるわけにはいかない。彼らはマスメディアの内部に少なからぬ数が存在していて、クメール・ルージュに対する報道姿勢を方向付ける一定の役割を果たしたのではないか?
最近、中国の存在の大きさを改めて感じる、中国は日本の歴史を貫いて日本と関わってきたし、最近の私個人はその存在感に空を覆い尽くす黒雲のような憂鬱な気分を感じる。中国はますます巨大化して日本を飲み込むほどの強国になるだろう。安定した強国であれば大変な脅威となり、不安定であればそのひずみが日本にも及ぶだろう。その先は空想の領域だが、カンボジアに中国の周辺国家の運命のひとつの類型を見てしまうのだ。
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by hatano_naoki | 2006-06-07 05:48 | カンボジア
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