文化遺産という概念の発生とその変遷について一度は整理しておきたい。その一環としてヴェニス憲章とアテネ憲章の全文の日本語訳を手に入れた。
アテネ憲章については誤解していたようで、これは文化遺産の保護をテーマにした憲章ではなく、文化的記念物を保護すべきだとする項目はごく一部であって、全体としては都市生活そのもののあり方に関する一種の提言であり宣言ともいうべきものだった。しかもイメージしているのは西欧の都市に代表されるいわゆる先進国の都市であるようだ。1931年という時代を考えれば当時としてはそうとうに先進的な考え方だっただろうし、乗り越えられること自体がその価値の大きさを証明していたともいえる。背景には国際連盟の成立という時代があり、その時代の支配的なイデオロギー(つまり西欧への一極集中的な価値観)が文化遺産に対する考え方にも影響を与えていたのは間違いない。文化遺産学をやるつもりはないが、アテネ憲章に至る「文化遺産概念の黎明」とヴェニス憲章以降の概念の変遷についても知っておきたい。ただ、率直にいってあるモノを文化遺産としてとらえる考え方がどうも好きになれない。あるモノが文化遺産として定義されるという状況は、そのモノの本来の存在のありかたからすれば二次的な、あるいは副次的なできごとであるという気がする。そのモノ自身は文化遺産として定義されることには基本的に「無関心」なはずだ。いわば「押しかけの定義」。もうすこし整理したい。
by hatano_naoki
| 2006-08-22 19:48
| カンボジア
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