東野真著「緒方貞子-難民支援の現場から」
d0059961_146022.jpg東野真著「緒方貞子-難民支援の現場から」(集英社新書)はNHKの番組制作から生まれた副産物という側面もある。こういう本の特徴は、この場合でいえば緒方さん本人の自伝ではおそらく控えめに語られるようなこと(つまり本人が語れば自慢話になってしまうようなこと)を第三者の立場から評価できることだろう。実際、本書では緒方さんがどのようにして組織内の信頼を勝ち得て行ったかが組織内のひとびとの証言をもとに描かれている。また国連の一組織であるUNHCRの内情が予想とは違ってさほど官僚的ではなくむしろ人間的であることも読者をほっとさせる。
本書で私にもっとも印象的だったのは、序章の冒頭に出てくるのだが、緒方さんが行動のもとになっているエネルギーはなにかと尋ねられる場面だった。これに対して緒方さんは「怒りかもしれないですね」と答えている。
その怒りとは一番深いところでは不公正に対する怒りであり、しごとを進める上では自分が正しいと信じている行動が阻害されるときの怒りだろう。これはとてもよくわかる。怒りとは状況に対する結論のとるひとつのかたちである。怒りは瞬時に結論として出てくるので、まだるっこしい経過説明や理由づけはずっと後方にある。それらはあとから慌てふためいて追いついてくればいいのだ。状況判断は怒りのかたちをとることで結論にもっともはやく到達する。
それにしてもなんとすばらしい人物像。私はこの人物をほとんど100パーセント尊敬している。困難な仕事に立ち向かう現代の本物の英雄であり、その英雄像はスポーツ選手に象徴される「英雄の代替物」ではない。
緒方さんは現在がパラダイムの転換の時期であると言っている。冷戦後の世界を律するルールはまだ見えていないが、緒方さんは日本の進むべき方向として人道大国という概念を提示する。武力では平和は守れないともいう。
しかし、さて、どうなのだろうか。世界を考える以前に、この小さな国は深く迷走している。原理原則がみつからないからだ。個人的な考えでは、国家ないしは民族にとっての原理原則は自らの血で手に入れるものだ。私たちの国家とその思想は透明なゼリーに閉じ込められたイチゴのひとかけらのようなもので、ほとんど空想的な国家の様相を呈している。リアリティはどこにある?
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by hatano_naoki | 2006-11-20 18:58 | 日日
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