沖縄勉強ノート(103)チャンプルー文化?
首相官邸のウェブサイトに「戦後沖縄を代表し、「チャンプルー文化」とも称される本市の個性的な文化は(略)」という文言があった。
沖縄の文化をチャンプルー文化と表現することがあるが、この文中ではチャンプルー文化を「チャンプルーは、まぜる、かきまぜるの意味の沖縄方言。地域の伝統文化と異文化が融合してできた文化」と定義している。沖縄市を対象とする「国際文化観光都市 チャンプルー・ルネッサンス計画」で述べられているもので、内閣の「地域再生本部」のページにある。
計画の中核は「沖縄市ミュージックタウン構想」にあるようで、「本市はエイサー、民謡、琉球舞踊、京太郎、ウスデーク等、古来より継承されてきた伝統文化を育むとともに、戦後のアメリカ文化を取り入れた「オキナワン・ロック」をはじめ、ジャズ、島唄等、他地域とは異なる個性的な文化を創造・発展してきた。」とした上で、「音楽振興、音楽産業を担う人材の育成や雇用の創出により、音楽を軸とした観光のまちづくりを推進することへの期待は大きいものがある。そのためには、まちの至るところで音楽が聞こえてくる環境をつくることが大切(略)」と述べている。
一般のひとが書いているブログを見ると、チャンプルー文化の例としては、ゴーヤチャンプルー(伝統食材であるゴーヤと戦後に米軍が持ちこんで普及したランチョンミートが使われている)とか、タコライスがよく挙げられている。
チャンプルー文化ということばにはそれほど深い意味がなく、Aの要素と、それとは異質なBの要素が入ってひとつの状態ができている場合に使われているように見える。AとBが融合してCを生み出すにいたっていないか、Cが一応は生み出されているにせよ、その融合の水準がそれほど高くないというようなニュアンスを個人的には感じる。"止揚"にいたっていないわけだ。またこのことばの響きは状況に対して批判的ではなく、沖縄における"文化的混沌"を面白がっている気配があるように感じる。
チャンプルー文化ということばがいつ生まれたのかはわからないが、占領下でアメリカ文化が浸透していった時期に、それほど肯定的なニュアンスを含むことなく、かといって強い否定でもなしに、使われ始めたのではないかと思える。具体的には占領期のコザの状況がもっともチャンプルー文化的だとされていたように見える。
私個人はこのことばが好きではない。安易であいまいで判断停止的な表現であり、状況の本質を回避しているような気がしてならない。沖縄ねぇ、中国とかアメリカとか日本とか、ごちゃまぜだよ。という程度の認識。これもまた沖縄をめぐるステレオタイプの理解だという気がしてならない。
私が思うには、沖縄にやってきた文化はもちろん融合もし、新しい文化を生み出しもしたが、それぞれの文化は層のようになって沖縄の地に降り積もっている。そのような歴史のレイヤーは一部は溶け合いながらも、それぞれの独自性というものは、濃淡の差はあれ、それなりにしたたかに生き残っているもののように思う。
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by hatano_naoki | 2007-01-22 06:26 | 沖縄勉強ノート
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