思考の星雲(2)
d0059961_2114553.jpg体系的な知識体系に欠ける私は、興味を感じた分野をかじるだけで、きちんとした理解に到達できずにこれまでの日々をすごしてきたようだ。
それが少しでも変化したのは、カンボジアをテーマに、従来よりも深くまた包括的に理解しようとしたときである。旅をして本を読み、話を聴いた。自分でも考えた。すると、つるつるして硬くて入っていけないように見えた世界にひびが入り、いくらか入り込むことができた。
私には方法が欠けていて、それは致命的欠陥だったが、一方で私にはとり散らかってはいても、これまでに蓄積した記憶と、誰にでも基本的に備わっている直感とか感性があると考えた。つまり私の非力な武器とは、記憶と直感である。それらがダメならば私はダメだ。
しかし今は、体験だけに依存するのではなく、ある程度調べていくクセがついてきた。調べるにもコツがあるはずだが、私は自己流でやっている。目をつぶってそこいらじゅうを叩きながらスイカを探している気分だが、それでもやらないよりはましだという考えだ。そしてあるとき気がつくと、私のまわりには他人の知識と思考の断片が小惑星ベルトの只中にいるかのように飛び回っている。時として息苦しくもあり、飽和してしまった自分を発見することもある。
こうなると私の課題は体験と他者の知見をいかに統合していくかということだ。行動から感受性と図書館的知識への短い往復運動を繰り返す。比較的ダイナミックな気分。

イラスト:小惑星ベルト copyright(c)NASA
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by hatano_naoki | 2007-02-02 21:19 | 日日
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