思考の星雲(4)
d0059961_21551410.jpg自分自身の思考のありようを客観的にとらえることはむずかしいけれども、セルフイメージとして語るなら、「考えられない」のが問題だ。それなりに考えようとするが、展開がなく発見がない。構造が見えない。考えることは好きだが、展開しないのがつらく、それゆえに考えを文章にすることもつらい。考える筋肉が脆弱なのだ。構造を見通せるような思考を夢見ていても、それがうまくいかないのは、ひとつはセンスの問題で、さらに決定的なのは思考の訓練が不足していることだろう。こういう私だが、延々と数千行を書いた末に、自分でもうっとりとする一行に出会えるかもしれないといまだに思っている。
切れ味のいい思考と鈍重な思考がある。切れ味のいい思考が好きで、そこを目指すべきだと思う。切れ味もまたセンスの問題だが、一方でトレーニングによってカバーできる部分がありそうだとも考える。それはどのようなトレーニングなのか?私の流儀では、それはすなわち凡庸ではない体験を繰り返すことでしかない。凡庸はダメだ。ここに私の可能性と限界がある。
思考はときたま感情と手を携えて煉獄と恍惚を通過する。思考とはそういうものなのだろう。そのとき、考えることは一種の闘争だが、レベルの低い闘争は唾棄すべきものだから、ひたすら高みを目指す。そして失速して墜落する。こういう繰り返しで日々が過ぎてゆく。

写真:超新星の残骸、かに星雲(M1)。メシエカタログの栄えある1番。copyright(c)NASA
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by hatano_naoki | 2007-02-04 21:45 | 日日
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