本をこする男
最近、ある図書館でのことである。
四十代なかば過ぎだろうか、黒っぽいスーツに地味なネクタイの男が本を読みながら熊のようにゆっくりと短い距離を行ったりきたりしているのが目に入った。
歩きながら本を読むのは、それはそれで本の読み方のひとつだが、私が注目したのは彼の指先である。手にした本の開かれたページを、指を一本伸ばして指先でかなりの速さでこすっている。指で触れるというより、かなり強くこすっていると表現するのがふさわしい。男の目は作業に没頭している。
読んでいるのではなく、紙の汚れをとろうとしているのだろうか。
男は執拗に紙をこすり続けている。紙が破れるんじゃないかと気になってきた。
指はページの上の部分から下に向けて動き、次に上に向かって動き、また下に動き、上下に繰り返し慌しく動いている。やがて、男の指が書かれた文字の行をなぞっているのではないかと思えてきた。ページの右から忙しく指を上下させながら左端まで行き、ページをめくるとまた同じ動作を繰り返す。何行かもどったり、同じ位置で行きつ戻りつするときもある。
男は目で文字を追うと同時に、その行を指でこすっているのではないだろうかと思った。
私も本を読むとき、特定の行を指で追うことはある。ある語句を探したり、ちょっとわかりにくい文章を理解しようとするときなどに自然に出てくる。指が自分の意識を表現している。
男の動作からは、普通ならば瞬間的に現れるだけの無意識の行動が増殖して、彼の読書そのものを飲み込んでしまったようにもみえる。
男は周囲を気にする様子はない。彼はこれまでもずっとこうしたやり方で読書を続けてきたにちがいない。
周囲を見渡してみた。誰も彼の行動には気づいていないようにみえる。図書館は自分に没頭する場所なのかもしれない。
結局、私がそこにいた二十分ほどのあいだ、男は歩き回りながら本のページをこすり続けた。
私の前に現れた"本をこする男"は何かの寓意だろうか?
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by hatano_naoki | 2007-02-16 07:02 | 日日
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