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沖縄勉強ノート(109)忘備録:心象地理学、薩摩からの視点
思いついたことの簡単なメモ。

心象地理学などという学問があるとは思わないが、心の中の地図とでもいうべきものを探りたい。
昔、関西人の友人と関西というエリアの境界とはどこにあるかという議論をしたことがある。行政的な境界ではなく、いわば心象としての関西の地理的境界についてああでもないこうでもないと話し合ったのだ。こうした境界はたとえば分水嶺ではっきりと線が引けるような場合もあれば、ゾーンとして存在している場合もある。こういう感覚はその土地に住む人にしかわからない。
似たような"調査"を沖縄についてもやってみたいものだ。現代の那覇の住民にとって首里とはどんなところだろうか?那覇のひとにとって、浦添はどんな土地と感じられるだろうか?住む人の意識と感情がおりなす地域の心象風景を、旅するときの下敷きにしたい。

もうひとつ、これはまったく別のトピックだが、
薩摩から見た琉球について少し調べてみたいと思った。
沖縄の側から見た薩摩支配は、当然ながら被害者史観的に語られる。では薩摩は琉球侵略とその後の支配をどのように理解し、位置づけていたのか。沖縄の視点ばかりでは一方的だ。侵略した側の思想と背景を知りたい。

3月6日の追記。
心象地理(imaginative geography)は立派な学問領域であるらしい。また地理学の分野では認知地図という概念があり、これはある人が自分の周囲の環境の空間的配置をどう考えているか、つまりどのような内的表象(=イメージ)をもっているのかということだという。心の中の地図と実在する地図、そして過去の地図(歴史地図)を同時に操作することによって時間と空間の幻視が可能になるかもしれない。
by hatano_naoki | 2007-03-05 17:30 | 沖縄勉強ノート
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