パソコン通信の時代
以前から不思議に思っているのは、パソコン通信の時代について書かれたものがなぜほとんどないのかということだ。実際にはいくらかは存在するのかもしれないが、私にはあのときに起きたことの大きさに比べて記録しようという動きが小さいように見える。パソコン通信を舞台にした小説があったように思うし、パソコン通信を扱ったいくつかの研究を目にしたことはあるが、全体としてパソコン通信の時代は歴史から消えたように思えてならない。
インターネットの前はパソコン通信だった。社会におけるパソコン通信の存在感は現在のインターネットと比べればずっと小さかったが、その時代にあってはかなりのインパクトがあったのも事実だ。
数十人ないし数千人のコミュニティから始まって、その末期には数百万人という規模になったパソコン通信の内部で起きたできごとは、そこにいた私には大変に面白かったが、それらが書き残されていないという不満がある。
あの時代は書き残される価値のない、たいしたことのない一時期に過ぎなかったのだろうか。
あの頃はよかったというような感慨を持っているわけではない。パソコン通信を経験したひとたちの回顧調の語りを聞くと、わたしですらなにかうんざりした気分になる。回顧という行為に対するあとの世代の反発は理解できる。また、回顧ということ自体、そこにいたことを強調する(=いなかった者を排除する)くせがあるし、コンピュータ/ネットワーク環境は特に、そこにいないと感じられない独特の雰囲気があるのだと思う。
パソコン通信の世界は閉じた生態系だった。あるいは化学反応を起こす実験装置だった。その内部には無意識的にそこにいるひとが多くいたのは当然として、意識的・観察的にいるひとが少なくなかった。つまり黎明期のコンピュータによるコミュニケーション・ネットワークであったパソコン通信そのものに興味を持つひとが少なからずいたのだ。ここが現在のインターネットと決定的に違うところかもしれない。そこには才人がたくさんいた。
小説、研究、ノンフィクション、どんな形式にせよ、あのとき起きたことを残すべきだと思う。それが私のしごとであるとも思えないが、ひとつだけ思いつくのは、私がパソコン通信の時代にネット上で書いたエッセイなどをまとめ、それになんらかの解説的な文章を付け加えて一冊の本にまとめることだ。いまとなっては解題が必要なのだ。もちろん、ここでも「その本は売れるのか」という問いに直面するのだが。
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by hatano_naoki | 2007-03-12 07:14 | 日日
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