かつてパソコン通信というものがあった(1)
かつてパソコン通信というものがあった。
インターネットがの前夜、パソコン通信はまず草の根的な小規模ネットとして現われ、やがて大型の商用パソコン通信ネットワークが出現してそれが爆発的に拡大した。
今から考えればパソコン通信はコンピュータネットワークが社会にどのような影響を与えるかについての予告編だったとも思えるが、もはや誰もがパソコン通信があったということすら忘れてしまったように見えるのが私には不思議でしかたがない。人間が忘れやすい生き物であることは重々承知だが、パソコン通信の記憶はかつてのユーザーの頭と心の中から雲散霧消してして無に帰してしまったのだろうか。
私においてはそうではない。
パソコン通信の世界で起きた多くのことを忘れてしまったが、忘れていないこともある。それらはインターネットの時代になってからも消えがたい刻印となって私の頭とからだに残っていたし、今でもその痕跡はあきらかに存在している。私にはパソコン通信の時代にネットをやったというある種の誇りがあり、そのことがいまや何の意味も持ち得ないことはもちろん理解しているにせよ、私の現在のネット生活にある種のリアリティをもたらしている根源であることは確実だ。
インターネットの特性について、たとえばソーシャルネットワークシステムやブログにおける人間関係の様相について、ある人物が論じているとする。その文章を読んだ私は、そこに書かれた内容から燃え立つような刺激を感じた覚えがない。そのすべては既知のことであり、つまりパソコン通信の時代に私自身が体験し知覚し、あるいは予感し予見したことで、つまり人類にとっての「知見の図書館」に収蔵済みのことばかりではないかという思いがわきあがる。なにをいまさら最近発見された、あるいは自分が発見したことように語っているのか。
最近の私自身はウェブサイトをやり、ブログをやり、SNSをやっている。それらへのアクセスは私の日常であり、生活に滑らかにとけこんでいる。ウェブサイトを通じて広がった人間のネットワークがあり、ブログでであったひとも、SNSで知り合ったひともいる。今のインターネットと自分の関係に特に不満はなく、といって野望もなく、淡々とつきあっている。
しかし私の内部に何らかのわだかまりが棲みついていることを認めないわけにいかない。
なぜ誰もパソコン通信の記憶を語らないのか。
回顧は私も嫌いだ。回顧ではなく、パソコン通信というメディアで何が起きていたかを、現在という時点から眼を見開いて振り返りたいだけなのだ。
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by hatano_naoki | 2007-04-25 07:10 | ネットとデジモノ
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