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かつてパソコン通信というのものがあった(2)
私がパソコン通信をはじめたのは事実上、商用パソコン通信サービスであるNIFTY-Serveの開始がきっかけだった。
日本ではその数年前、1980年代半ば頃に草の根的なネットが生まれはじめていたが、私はそれらに関心は持っていたものの、その頃を体験してはいない。また商用パソコン通信といっても最大手のNIFTY-Serve上しか知らないといっていい。
しかしニフティと並行して日経ミックスに加入したし、TWICS BeeLINEなどいくつかの草の根ネットにもアクセスした。日経ミックスは初期に私がもっとも熱心にアクセスしたネットだ。しかしその後のネット時間の大半はニフティのフォーラムに費やしたから、私のネットに関する認識やイメージがニフティの世界に依存していることは否めない。
手元に1992年4月にニフティ株式会社が出した『ニフティサーブ5年の歩み』と題されたパンフレットがある。それによると1992年3月の時点での会員数は35万人。1987年4月のサービス開始当初は3,500人だったとしているのは、富士通社員など関連会社の社員が会員になるといった"動員"があったからだろうか。翌1988年3月には約2万人、1989年3月には5万人、1990年に10万人、1991年3月には20万人だった。1995年4月には100万人を突破、1996年9月18日には会員数が200万人になった。このころがニフティのパソコン通信時代の頂点かもしれない。
一方では1992年、IIJが設立され、日本でインターネットが広がりを見せ始める。日本語版Windowsの3.1がリリースされたのもこの年だ。ニフティは1994年にインターネット経由の電子メールの送受信に対応する。1995年、Windows95誕生、Netscapeリリース。私がWWWをはじめて目撃したのは1991年だが、おそらくこの頃(1995年)にWindows95とNetscapeの組み合わせでWWWにアクセスしはじめた。
ニフティがパソコン通信サービスを終了したのは2006年3月31日である。サービス終了について発表した2005年02月16日段階でのTTY接続(パソコン通信サービスのこと)および関連サービスの利用者は約2万人だったという。
私個人の歴史から見るとニフティに加入したのは1987年6月頃で、サービス開始から2ヶ月ほど経っていた。同じ頃に日経ミックスにも加入。この時期は日経ミックスの方がアクティブで知的レベルも高かった。ニフティで読むばかりでなく書く(発言する)側に回ったのはその年の秋以降だったと思う。
それから1994年あるいは1995年頃までは熱心に活動したがその後次第に遠ざかっていった。自分のウェブサイトを立ち上げてインターネットの世界に入っていったのは2000年だから、この間5年間くらいは自らネットに積極的に関わることはなかった。その原因は私自身がパソコン通信に倦んだのと、インターネットへの移行がうまくいかなかったことが重なったからで、そのためにネットから距離をおくようになったのだと思う。パソコン通信になじんだ私にとってインターネットは長い間、なじめない異世界だったのだ。
パソコン通信の世界にもいろいろなサービスがあり、「場」があったけれども、私が主に活動したのはニフティでフォーラムと呼ばれる電子コミュニティだった。NECが運営していたPC-VANではSIGと呼ばれていた。フォーラムは電子会議と呼ばれる比較的高機能な電子掲示板システムを中心に掲示板、チャット(ニフティではリアルタイム会議と呼ばれていた)、デーライブラリなど複数の機能が組み合わされたひとつのコミュニケーション単位で、それぞれが独自のカラーを持っていた。基本的に1テーマ1フォーラムが原則で、最盛期には1,000ものフォーラムがあったという。
by hatano_naoki | 2007-04-27 17:57 | ネットとデジモノ
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