かつてパソコン通信というのものがあった(3)
パソコン通信をはじめた日のことはよく覚えている。
1987年6月のある日、当時使っていた大型のビジネス用ワープロ、OASYS 100HにAIWA製の1200bpsのモデムをつなぎ、MS-DOSを走らせ、システムディスクにふくまれていたTERMというソフトを起動してニフティに接続し、サインアップした。緑色の文字が輝きながら黒いCRT画面を流れていった。

このときの私のコンピュータ環境はあまり普通ではなかったと思う。普通のユーザーは通称"98"(NECのPC9801シリーズ)などのパソコンを使っていたにちがいない。なぜ私が「大型のビジネス用ワープロ」なるものを使っていたかといえば、それはひとえに日本語を操る能力が当時のパソコンに比べて格段に高かったからだ。私はコンピュータで日本語を操ることを強く望んでいた。
当時のパソコンは"98"の天下であり、富士通はFM-Rシリーズを発売、アップルがMacintosh II を発表した頃だ。"98"やFMRの画面はVGA(640×480ピクセル)だったから表示される漢字はたてよこ16ピクセルで構成されており、画数の多い文字は省略されて奇妙な字体になっていた。私が比較の対象としていたのはたぶん書物の文字であり、コンピュータであっても文字は正しく書かれて表示されるべきだと考えていた。高価な(百万以上もした!)ビジネスワープロを購入した理由の一端は24ピクセルのなめらかな漢字の表示にほれたからだった。これだと漢字は完璧ではないがより本物らしく見える。
このビジネスワープロという製品カテゴリーは日本で独自の進化を遂げたあと、パソコンの日本語処理能力の向上によって滅びていった。私がこだわった24ピクセル表示はパソコンの世界で標準にはならず、私は「汚い」と感じられた16ピクセル表示に慣れざるをえなくなった。
ちなみに私がこの機械を買った時点では単なるワープロであり、パソコン通信ができる機械だとは思っていなかった。いくらかあとになってMS-DOSでパソコン通信サービスに接続できることを知り、それから少ししてより高機能な通信ソフトが提供されることになった。

コンピュータによる通信をはじめて体験した私は、自分で入力したのではない大量の文字が画面を流れてゆくことに驚きに似た感慨を抱いた。それまで私が画面上で見ていた文字はすべて私が入力したものだった。私の入力した文字はフロッピーディスクに保存するか、容量が20メガバイトほどの内蔵ハードディスクの10メガバイト程度の文書領域に保存するか、どちらかだった。データは孤立し、私も孤立していた。
しかしパソコン通信の世界では自分が書いた文章とはくらべものにならないほど大量の文字が行きかい、それらを取り込んで自分のコンピュータに蓄積することができるのだった。今から考えるとたわいもないことだが、自分のコンピュータが突然それまでとは違った道具になった気がした。

はじめてパソコン通信というものを知ったのは1985年か1986年頃、当時出ていた『PCワールド』 という雑誌でだったと思う。これはすごい、と瞬間的に思ったおぼえがある。コンピュータ・ネットワークによって知らない人同士が結びつく世界がもうすぐはじまりそうなのだ。
その頃の私はSOHO幻想のようなものにとりつかれていたらしく、会社をやめて小さなオフィスでひとりきりで働き始めていた。私は孤独であり、ひとのつながりを求めていたにちがいない。そんな私にとってまだ見ぬパソコン通信の世界は一種のユートピアに見えた。
その頃の私の家にはアップルIIeという8ビットパソコンがあった。この伝説的なパソコンは40万近くもして、四年の分割払いで買ったものだった。この機械は私にパソコンとはなにかという具体的なプレゼンテーションをしてくれた。アップルの前には1982年に信州精機(現在のEPSON)から発売されたHC-20というハンドヘルドパソコンを買ったのが私にとって最初のパソコンとの出会いだった。
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by hatano_naoki | 2007-04-28 08:39 | ネットとデジモノ
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