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かつてパソコン通信というものがあった(7)
商用パソコン通信ネットのビジネスモデルは時間単位の従量制課金システムをベースにしていた。
ユーザーはアクセスポイントまでの通常の電話料金と商用ネットを利用するための料金(1分当たり10円)を払うことになる。電話代もネットの利用料金も、どちらも青天井。私の周囲には電話代とニフティの課金をあわせて数万円を払うユーザーがごろごろいた。
私の場合、利用時間が長くなる主な要因はオンラインでメッセージを読み、書くことだった。多くのユーザーはチャット(ニフティではリアルタイム会議と呼んでいた)に時間を費やしていたようだ。
完全な時間従量制の課金システムはユーザー心理にも少なからぬ影響を与えていたはずだ。
長く接続すればたくさん払わなければならない。ユーザーにとって料金低減は大きな課題だった。
オートパイロットで指定した電子会議の未読発言をダウンロードしてオフラインで読み、メッセージを書き、接続すると自動でメッセージを書き込むような通信ソフトが登場すると利用料金は大幅に節約できるようになったが、私は最後までオンラインで読み、書くことにこだわっていた。
その理由はオンライン感覚とでもいうべき独特の雰囲気が好きだったことにある。
今の瞬間、電話回線を通じて場とつながっていること、あるいは誰かとつながっていることがたしかに感じられることがパソコン通信の大きな魅力だったし魔力でもあった。
目の前にあるのはCRTモニターだが、そこに映るコマンドの文字列や誰かのメッセージからはお互いが遠く離れて別々の生活を送っている人々のあいだに生成される人間同士の生々しい営みが感じられる。それは相互の理解だったり、意見の相違からくる論争だったり、電子メールのやりとりだけで何かを作り出そうとする試みだったり、ネット上に生まれた恋愛だったりした。こういうさまざまな人間の営みは、そこがネットという特別な世界であるという感覚(=オンライン感覚)によって強く縁取られていた。
パソコン通信に接続していること自体が刺激的な体験だったのだ。初期のパソコン通信は手段になりきっておらず、いくぶん目的だったが、それはメディアの幼年期によくある現象だったはずだ。
当時の私はパソコン通信を「電子ネットワーク」と呼んでいた。この呼び方が一般的だったかははっきりしないが、いずれにしてもパソコン通信上のコミュニケーションによって未来の一部に出会っているような気がしていた。
その後、ISDN回線のもっとも初期のユーザーとなった私は低速(64Kbps×2=128Kbps)ではあっても一応の常時接続の環境を手に入れ、さらにADSL、それから光へと接続環境は変遷した。またパソコン通信の従量制課金システムに相当する部分はインターネットの世界ではほぼタダになった。しかしこうした回線の高速化(つまり利用可能なデータ量の飛躍的増加)、常時接続化、利用料金の劇的低下と反比例するようにオンライン感覚は失われていった。
こういう感じ方は私のパーソナルヒストリーにおけるパソコン通信とインターネットとの出会い方の違い、それらに対する期待、幻想、そこで起こったできごと、私自身の熱中度の違いに起因している。一方でパソコン通信の初期(私の体験の中では商用パソコン通信の初期)には一種の熱狂があり、人々は自分たちがネットワークコミュニケーションを実践する最初の一群であることを自覚していたこともたしかだと思う。
by hatano_naoki | 2007-05-06 09:50 | ネットとデジモノ
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