かつてパソコン通信というものがあった(9)
パソコン通信がそのひとにとって何であったか。
答がさまざまだったのはたしかだが、私にとってのパソコン通信はまずひとと知り合う場であり、知り合った彼らと共同作業をする場であり、それから自己を表現する場だった。たぶんこれらが自分に欠けていたのだ。
私がパソコン通信に出会ったのは三十代の終わりだったが、それまでの生活といえばちいさな会社の中での人間関係とそれ以前の学校生活を通じての人間関係以外はたいした広がりを持っていなかった。しかしパソコン通信をやる中でそれが一挙に広がっていくのが実感された。
画期的に感じられたのは、知り合ったひとびとが日本のあちこち(あるいは世界のあちこち)に住んでいる事実だった。ネットでのコミュニケーションに地理的制約がないこと自体、今では意識しなくなったが、そのときは日本中に知り合いができたことが新鮮に感じられたものだ。
それから偶然、共同作業の場に立ち会うことになった。ニフティにあったOASYS(富士通が発売していたワープロ)のベンダーフォーラムでのことで、そこでOASYSのユーザー主体のフォーラムを作ろうという動きが始まったのだ。私はそこで発言し、それをきっかけにアクティブに発言していた何人かとチームを作ってフォーラム(OASYSユーザーフォーラムという名前になった)を作る作業のほとんど全部を公開/非公開の電子会議と同報メールで行う体験をした。1988年の秋から冬にかけてのことだ。
これは私にとってはパソコン通信における最初の成功体験だったし、ネット上で他人がやったことのないことを試みるという一種の病のはじまりでもあった。ネットは私にとっては自己の回復の場であるといってもよかったが、この時点ですでに私は頑迷な原理主義者だった。私が回復される方向はここで決まった。
このときのログのほぼ全部が今でも手元にある。それもドットマトリックスプリンタで打ち出したものだ。5インチフロッピーに記録してあったが、途中で見失ってしまい、プリントしたものだけが残った。
読み返してみるとまず、大変ないきおいで議論が進んでいるのに驚く。次に役者がそろっていることにもびっくりする。いいだしっぺがいて、それをふくらませるひとがおり、いくらかの高みに上って全体を見渡す人がいて、細部にかみくだいていくひとがいる。もちろんいくらかの否定的意見や批判も必要にして十分なだけ現れる。
フォーラムは個人がニフティに提案し、個人が契約して運営するものだったから、私がかかわったこのフォーラムづくりの動きはかなり特殊だったはずだ。
この動きの中で私はネット上でのひとの動きについてさまざまに学習することができたし、実践を通じて一種の法則性を発見していると感じていた。
ユーザーフォーラムがオープンすると私はその運営チームのひとりになって懸命に働いたが、同時に個人的に新しい試みをはじめた。それは電子会議上で連載をすることである。短いエッセイを書き、それを電子会議に書き込む。反応が大きかったとはいえないが、私の創作意欲は
刺激され、書くことに熱中する日が続いた。考えてみると、十代の終わりから二十代のかけて、私は書くことで自分を支えていた時期があった。しかしやがて書かなくなり、十年以上が過ぎて再び書く時代がやってきたのだった。
書く場所を提供することで書く動機を与えてくれたパソコン通信には感謝しなければならない。
それまでの私は書くことをあきらめていたに違いない。しかしパソコン通信の世界では他人の視線に自分の習作をいきなりさらすことになる。これは私にとって新しく本質的な体験だった。それ以来、基本的にネット上で他人の視線を感じながら書くことが私の方法になっていった。
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by hatano_naoki | 2007-05-10 08:40 | ネットとデジモノ
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