もはやネットを語らず
今朝、ニフティからこんなメールが届いた。

拝啓 時下ますますご清栄のこととお喜び申し上げます。

弊社サービスを長年にわたりご愛顧いただき、誠にありがとうございます。
2007年6月6日は、*****様が@niftyにご入会されてから、ちょうど
20周年となります。


二十年前の今日、私はパソコン通信をはじめたのだった。
その日の状況はよくおぼえている。場所は新宿、明治通りに面したワンルームマンションの一室。午前中に秋葉原に行って買ってきたアイワのモデムをビジネスワープロOASYS100Hにつないでサインアップした。通信速度は1200bpsだった。
それから幾星霜、ネットは人生を変え、他者との関係をも変えた。決して悪い方向ではない。ただしここまで来ると、これからの十年が驚くべき変化の十年だとも思えない。この二十年でネットの通信速度は十万倍ないし四十万倍、一般的なPCのCPUクロックは一千倍、主メモリは十万倍になったが、私の幸せは三倍になったわけでもない。ネットが登場した瞬間が最大の革新で、その後の変化はそれほどのものでもない。ひとのつながりかたもその広がりも本質的には変化していない。
ではこの間、ネットに対して悲観的で否定的になってきたかといえば、それはそうでもない。ネットも当然、その社会の、そして世界の一部であり、またその反映であるのだから、可能性も限界も人間の社会のありさまに起因しているにすぎず、また技術が超越的な魔術であるわけでもない。その意味では楽観も悲観もしていない。
ただ個人的に残念に思うのは、ここしばらく「実験」のチャンスに恵まれないことだ。ささやかな規模と水準であるにせよ、ネットの可能性を探る試みをした時期があったけれど、その後のネットは幼年期を脱してビジネスに覆われてしまい、ひととひととのつながりについてもそれは試みではなく、単にビジネスモデルの一展開として扱われているにすぎない。
もはや誰もネットについて語らず、思考せず、ひたすら消費する。
それはそういう時代なのだから、とやかく言ってもしかたがないというのは理解できる。しかしいまだに、ネット上でのひととひととのつながりに関する刺激的な試みがしたいと思いつづけている。これはネット体験の初期に私に刷りこまれた業みたいなものだ。
これからの十年。ネットはますます身近になり、見えなくなり、語られなくなっていく。そうした時代に逆行するように、私はネットを語る少数の中のひとりとして生涯を終えるかもしれない。
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by hatano_naoki | 2007-06-06 19:16 | ネットとデジモノ
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