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ZARDに癒されなかった日々
ZARDの坂井泉水の作品に人生の応援歌としての要素があることは、もちろんそういう要素だけで彼女の楽曲が成立していたのではないにせよ、多くのひとが指摘している。
つらさを癒し、立ち直るために歌を聴くひとがいて、それも少なくないひとたちがそういう行動をとっている。そして、そういう彼らのために歌う歌い手がいる。歌が人生の苦しみや痛みを癒し、明るさを与え、再生を後押しするならば、それはすてきなことだ。
で、私は。私は歌に癒され、歌に支えられて人生の明るさを取り戻したことがあっただろうか。
たぶん。ほぼ、ないだろう。そればかりか、歌にも小説にも、なにものかに癒された記憶は皆無に近い気がする。
癒されるということは、そのとき目を閉じ、思考を停止し、下降し、ときには後退し撤退し、繭の中でまどろんでいるのだ、と私は考える。そういうのは嫌だし、癒しという言葉自体もとことん嫌いなのだ。いかにひどいことであれ、対象を凝視すべきだし、それでくたばっても自業自得というものだ。
こういう考えだから私の内部に歌が棲みつかないにちがいない。それはさびしいことだが、そう思う私は歌に救われない人生にある種の矜持を感じてもいる。ZARDに癒されなかった私の日々は、いわばブリキの勲章である、と。
by hatano_naoki | 2007-06-18 21:45 | 歌が私を・・・
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