ブログで「人間」に出会う
あるブログと、興味を惹かれてそのブログの読者となる私との関係は、雑誌と読者との関係とはずいぶん違う。
一番の違いは私の中の心の動きだ。
日常的にずいぶんたくさんのブログを訪れているが、あるブログに出会うのは特定のトピックをGoogleで検索した結果であることが多い。何か調べものをしていて、情報を得る過程でブログに行き当たる。そこにいい情報があれば該当する記事はじっくり読むが、そのとき知りたいあるキーワードやトピックについての情報に出会ったら、そこを読んで終わりという場合がほとんどだ。ブログの書き手の関心事と私の関心のある事柄とが重なり合うことはないわけではないが、普通はごく一部が重なっているにすぎないし、文章を通して感じられるそのひとの世界に興味がもてることもまた稀である。
ただ、ごくまれに、あるブログに心のひっかかりを感じる場合がある。そのひっかかりとはブログから垣間見える"人間"へのひっかかりだ。いいかえればブログによってその人に対する想像力が励起する。こういう心の動きは、基本的に人間そのものに対する好奇心に根ざしている。
そこでブログを読み始め、"定期購読者"となり、やがてブログの雰囲気や文章や話題の取り上げ方から形成されるある人格のイメージが私の中に棲むようになることもある。こうして私の内部に形成される人格のイメージはなかなか強くて、その実在感や私との距離の近さは驚くべきものだ。もちろん私の作り出したイメージと実在する人物の関係は確かめられたわけではないし、まったくの妄想であるのかもしれないのだが。
自分が社会の中でどのように存在しているのか、たとえば名前、年齢、性別、住んでいる場所、仕事の内容、社会的地位、そういったものを比較的はっきりと明らかにしている人もいないことはないが、多くの場合、それらの情報は伏せられている。しかしブログを読んでいると、こうした個人情報は少しずつ分かってくるものだ。それはいわばある種のプロファイリングみたいなもので、無意識に書かれた断片的な情報ともいえないような情報からその人のアウトイラインが浮かび上がってくるとき、私は自分の行うプロファイリングもどきを比較的信頼しているし、そのことを楽しんでもいるのだが、実物に会って自分の見立てを確かめたいという誘惑には勝てそうもない。
一方で、私自身のネット上の人格イメージはどんなものだろうかとも考える。おそらく硬質で頑固で融通の利かないイメージ、あるいはそれに似たものだろう。ネット上で人のうごめく様を二十年も見つめてきていっぱしの人間観察者を自認している私はネットに露出する私自身のイメージを自分でコントロールできると考えているのだが、それは私の錯誤に過ぎないのかもしれない。
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by hatano_naoki | 2007-07-04 16:33 | ネットとデジモノ
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