文体のことなど
他人には何の関心もない話だろうが、思考のメモとして書き留めておく。
文体の話である。
よく軽妙な文体というのに出会う。読みやすく、リズムがよく、よく走り、ときにはニヤリとしてしまうようなユーモアとおそらくその背後にあるはずのエスプリ。こういう文章に出会うと、本屋での立ち読みが気がつくと一時間にもなっている。
で、ひるがえって私自身の文体はどうかということだ。
私にもかろうじて文体と呼べるであろう文章の個性はあると思うし、自分の文体が嫌いだということもない。しかし自分の文体がこういった洒脱な軽みを帯びるにはどうしたらいいかと思うことがある。ないものねだりかもしれないが軽みがほしいのだ。
もちろん、テーマは軽みばかりではない。
文章を書く人間は誰でも自分の語り口に愛着があるはずだし、その語り口が忘れがたいほどに個性的でありたいと願っているはずだ。文体は私の思考、感情、視線そのものだし、生き方の表明でもある。
極端にいえば内容より文体が大事だ。しかし文体は創出できるものではないという気がしてならない。文体はそのひとの存在から立ち昇ってくる。とりつくろうことができないし、体裁を整えることもできない。だから晒すほかない。文体がだめなら書くのは無意味だ。しかし迂遠な道はあるように思える。文体が結果であると考えれば、日常のすべてがその手段であり過程だということになる。つまり毎日の思考、感情、視線が大事だ。
実際には文体は修練の結果というより才能だという味気ない結論が出そうではあるのだが。
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by hatano_naoki | 2007-08-24 21:08 | 日日
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