アウン・サン・スー・チーと僧侶たち
d0059961_10233156.jpgAFPによれば、22日、雨の降るヤンゴンで僧侶が大規模なデモを行い、アウン・サン・スー・チー(Aung San Suu Kyi)さんの自宅前を通過した。スー・チーさんの自宅に通じる道路は封鎖が続いているが、封鎖が解かれたのは異例だという。
「目撃者によると、スー・チーさんは午後半ば過ぎに、女性2人を伴って自宅から姿を現し、通り過ぎる僧侶らに泣きながら敬意を表した。スー・チーさんと僧侶たちは会話しなかったらしい。」とAFPは述べている。
またasahi.comは「AFP通信などによると、雨の中で僧侶らがスー・チー氏の自宅前に到着すると、同氏は涙を流しながら門の近くまで現れ、僧侶らに手を合わせた。僧侶らは約15分にわたり、同氏のために祈った。会話はなかったという。 」と言っているが、私が見たAFPの記事には「僧侶が約15分にわたり、同氏のために祈った。」という記述はなく、この部分のソースははっきりしない。AFPも「目撃者によると」と書いているということは、肝心のスー・チーさんと僧侶の邂逅の場面は伝聞によるもので、事実関係にいくらかのゆらぎがあるのはそのせいだろう。
スー・チーさんが「泣きながら手を合わせた」こと、スー・チーさんと僧侶たちが会話しなかったこと、この2つが事実だとすれば、この光景は実に象徴的、アジア的に感じられる。千人もの僧侶がスー・チーさんの前を粛々と通り過ぎる。彼女は静かに手を合わせる。怒号、叫び、イデオロギーがそこにはなく、もっと根源的ななにものかがビルマ民主化運動の精神的支柱と僧侶たちの間をゆっくりと行き来する。
これはニュースの一行から湧き上がった妄想にすぎないけれども、アジアにおける民主主義とか改革とか抵抗とか抗議とかを考えさせる瞬間ではあった。軍政が終わり、まともな政府が機能しはじめたなら、私はかの地を訪れるかもしれない。
アジア的と書いて、ではアジア的とはなんなのか、と自問する。浅薄な「アジア」では立つ瀬がない。アジアというくくりも、それが存在するのかどうか。きわめて感覚的な話だが、感覚的に断ずることは自分自身の宿痾であることもわかっている。しかし、それは少なくとも、私自身の内部にある(はずの)アジアに対する望郷、憧憬、シンパシー、連帯、支持、そしてヤマアラシのジレンマの表明だし、できれば精度を高めていきたい大切な概念でもある。

写真はnobelprize.orgというサイトのHeroines of Peace: The Nine Nobel Womenというページにあったもの。いつ撮られたかわからないが、背後に写っているのは障子に見え、日本で撮られたのだとすれば彼女が京都大学東南アジア研究センターの客員研究員として日本に滞在していた1985年か1986年頃、つまり40歳頃の写真かもしれない。
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by hatano_naoki | 2007-09-23 10:26 | 日日
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