末期の眼
「末期の眼」という表現をしたのは川端康成だそうだが、この言葉からイメージされる態度、ものの見方、そこから受ける印象と感慨に近いものを自分が感じているのだと思える。死が近づいてくることを知ったうえで、日々を愛惜する態度。それはつまり生きることそのものを愛し、充足する生き方とでもいえばいいのだろうか。そう考えると明石家さんまの座右の銘(?)、「生きているだけでまるもうけ」もけっこう含蓄の深いことばだ。
いつ死ぬかわかりはしないが、私たちは確実に死ぬ。私個人は死と自分が戯れていると思う瞬間さえあるけれども、一方で強い生への執着があって生と自分が強固に癒着しているのを知っている。もし生と引きはがされるなら、それはそれは強い痛みをともなうだろう。だから死を恐れない状態に憧れるが、そのような状態が感覚の喪失や創造的意欲の低下をともなうのなら願い下げだ。この辺にひとつのジレンマがある。感覚が高度に励起していてかつ死を恐れない状態というものに憧れるが、現実がそんなきれいごとでは済まないということもわかっているつもりだ。
ともあれ、私の今日と明日は「末期の眼」を研いでゆくしかないと感じている。人生の終末はそれほど先ではなく、残された時間はいくらもないという意識だが、その割には無駄な時間が過ぎてゆくのが凡人の証ということだろうか。

(注)『末期の眼』は川端康成の評論のタイトルで、初出は「文芸」(昭和8年、1933年)、川端が34才のときの作品。
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by hatano_naoki | 2007-12-09 17:52 | 日日
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