イー・モバイルのS11HT(21)パーソナルデータアシスタント
PDAという概念もその製品も、今はほぼスマートフォンという商品カテゴリーに吸収されてしまい、PDAということばの原義すら忘れ去られたような気がする。
ところで今日は一冊の手帳とこのスマートフォンとを喫茶店の大きなテーブルの上に置き、少しの間あれこれ思いをめぐらしていた。その言い方、その表現は正しくはどんな意味だっただろうかと疑問がわけばすぐさま『広辞苑』を参照する。メモをとろうとすれば長年の仮名漢字変換のせいでさっぱり字が書けない。そこで『漢字源』が登場する。集中に疲れれば古いジャズを聴き、さらに脱線してエヴァンゲリオンの一編を見てしまう。それから思いついてメールをチェック。そんな具合にPDAを正しく(?)Personal Data Assistantとして使う、なかなか快適な環境ができたと自画自賛していたわけだ。
モバイルPCでもこうした環境は無理なく実現できるが、これほどの小型の端末で一通りのことができるというのはなかなかにすばらしいことだ。PCと比較した場合、唯一最大の弱点は入力機としての貧弱さだが、それもATOKによってめざましく改善されたし、もとよりこれで長文を書く気はなく、それほど長くない文章を思いついたときに書きとめる環境をいつも持ち歩ける楽しさはPCをはるかに上回る。
最近、横光利一の『旅愁』を青空子猫で読み終えた。この長編を何十年かぶりにスマートフォンの画面で読んでみて、それがまさに読書であったというのがいつわりのない感想だ。つまりこれは書棚であり本そのものでもあるわけだ。かつてのPDAとの大きなちがいであるそのストレージの大きさが数千冊の長編小説に匹敵するテキストデータを持ち歩くことを可能にする。これは喫茶店書斎での創作活動におおきな影響を与えるだろう。
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by hatano_naoki | 2008-05-11 21:09 | ネットとデジモノ
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