書かれざる傑作
ようやくまとまった文章を書きたいという意欲というか意志というか、そういった雰囲気が生まれて来た。
ではなにを書くのか?
昔、父親がこんな話をしてくれたことがある。ある絵描きが傑作を描くのだといい、その絵の制作が進んでいるらしかったが誰も絵を見た者はいなかった。やがてある人物がアトリエをのぞき見るとキャンバスには何も描かれていなかった。彼は発狂していたのだ…。
ストーリーを正確には覚えていないし、父親の創作ではなく誰かの小説かなにかだったと思う。父親がどのような話の流れでこのエピソードを持ち出したのかも忘れてしまっている。たぶん、たいした深い意味もない雑談の一部だったのだろう。
しかしどういうわけかときどきこの話を思いだす。わたしもまた書かないで書くことを思い、書こうとして書けずに発狂してしまうひとびとの系譜に連なるのだろうか、と。
実際には書けずに発狂するとは思っていない。書くことがわたしの人生を支えているといってもいいが、それとは別の視点からいえばわたしは書くことが好きなただの物好きにすぎない。それで発狂するなどおこがましい、発狂するならそれはそれで天晴れというくらいのものだ。書くには内部の高まりが必要だが、書くエネルギーが絶対的に不足している。書くという行為において貧血気味なのだ。
書くことの恍惚、書くことの奈落。それらは書いたことのある者にしかわからない。そしてその質は措いて、わたしはある程度のまとまった文章を書こうと呻吟したことがある。
わたしが書くべきものが書かれていない。自分が書くべきものを書いていない。わたしほどの年齢になってまともな作品が生み出せなければ、一般的にいえば能力に欠けていると言うことで、それがわかれば書くのをあきらめる。しかしわたしはそのへんが脳天気なのか、まだなにかが書けるのではないかと思い続けている。こういう精神構造なら発狂することはちょっと考えられないから安心だが、そのかわりに書けずに老残の身を晒すという運命が待っているとは思う。
いつまでもスタバのカウンターで自分にはなにが書けるのだろうかと考えているわけにもいかない。『なぜわたしは書かないのか、あるいは書けないのか』という本なら書けそうな気がしてきた。
[PR]
by hatano_naoki | 2008-05-28 00:01 | 日日
<< 国際災害救助部隊 搬送 >>