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カンボジアな一日
終日御茶ノ水あたりをうろついていた。
午前中から夕方まで、日大で『アンコール遺跡国際シンポジウム』を聴く。アンコール時代の王道がメインテーマだった。
タイとの合同チームでアンコールからピーマイにいたるルートの調査を行った話をしたAPSARAのイム・ソリッティとは三、四年ぶり。日大で博士論文を出す準備をしているチェン・ラターとも久しぶりだった。
シンポジウムが終わってから簡単なパーティ。カンボジア研究の世界から見れば門外漢であるわたしにも話しかけてくれるひとがいて、久しぶりにカンボジアをめぐるひとびとのことを思い出していた。
カンボジアという言葉は思いもかけず魔法の杖のようで、それを振るとさまざまなことがわたしの周囲で起きた。
カンボジアというキーワードがわたしをいろんなひとに引き合わせ、それまで会ったことのない経歴、職業、思考の持ち主と会い、話した。それらの会話はカンボジアという東南アジアの弱小国家を触媒にして深く降りていき、また遠く空をかける。
殺風景な部屋で立ったまま話に熱中するひとびとを眺めながら、カンボジアをめぐるひとのつながりのことを思っていた。それらはわたしにとっては過分に豊かだったというほかはない。
しかしそうであっても、結局のところわたしが孤立しているのもまたたしかだ。アカデミズムの世界にも旅人の世界にもいることができず、いつも漂っているようなもので、生き方あり方が危うい。どこにもいられない。異形の心象が形成される。
表現もまた不全だ。いまだカンボジアについて語りたいこと、カンボジアを媒介にして表現したいことがある。自分の中に住みついたイメージを吐き出したいがうまくいかない。イメージの亡霊にすぎないのかもしれないが、それでも依存している。そこを突破したい。
by hatano_naoki | 2008-10-26 00:48 | カンボジア
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