ネットブック雑感
自分自身、身近にネットブックがある。
で、いくらかつかってみて、この新しいカテゴリーから感じることがいくつかあった。
まず、キーワードは「オーバースペック」だ。
これまでノートPCを買おうとするひとは、「ノートは高いのが当たり前」といわれてきわめて高価なノートPCを買うしかなかった。その理屈がなんとなく納得できたのも事実だ。
ところが持ち歩くPCで何をやってきたかといえば、大多数はちょっとした作業、たとえばメールを読むとか、ウェブサイトを見るとか、Wordの文章の数語を訂正するとか、その程度のことしかしてこなかった。マシンはあきらかにオーバースペックだったのだ。
そこにネットブックなる製品が投入された。これはもしかするとインテルのマーケティングの失策ではないかと思う。インテルは自分たちの帝国を存続させるためには現在のネットブックの仕様を可能にするAtomのようなCPUを供給すべきではなかった。ところがAtomはパンドラの箱を開けてしまい、その中から低価格ノートPCという怪物が飛び出してきてしまったのだ。世界は混乱し、次の秩序を求めて右往左往する。
使ってみて思うのだが、インテルもマイクロソフトもネットブックなるものをメインストリームの脇に生まれた小さな流れ、多様化のひとつの枝、単なるサブカテゴリーだと考えていた節がある。たいしたものじゃないと考えていたのではないか。仕様は低レベルだ。縦方向が600ピクセルしかないのは、少なくとも768ピクセルはあったこれまでのPCからみたら大変に狭く、すぐにストレスを感じるひとが少なくないだろう。CPUの処理能力は低く、CPUパワーが必要な作業には向いていないのは明白だ。たいしたものじゃないのだ。
ところが、よく考えてみるとわれわれがPCで行っている作業というのは、普通のひとならばたいしたことではない。こういう普通の人のニーズに合わせた低価格のノートPCというのは、これまでもいくつか提案はあったわけだがどれも成功しなかった。それが、枯れたOSであるWindowsXPと低価格のCPUであるAtom、それに汎用部品の組み合わせが信じられない低価格を実現し、ノートPCというのは高望みしなければこれくらいの値段でも売れるということがわかったのだ。
実際、店頭に行ってみるとネットブックのコーナーだけに人が集まっている。聞き耳を立てているとネットブックとはどういう性格の製品なのか知らないひとが多い。つまり製品のコンセプトではなく低価格であるという一点でひとを集めている。買ってから後悔する、話がちがうと憤慨する、そういう消費者がネットブックに関心を示している。なんとなく思うのだが、今のネットブックは高機能が好きな日本のユーザーの要求に負けていくらか上の価格帯でいくらか性能のいい製品群に移行し、一方でこれまでのノートブックは市場の圧力で低価格化を強いられ、その結果いわゆるネットブックと従来のノートPCの境界があいまいになり、中間的な妥協的な製品が主流になるのではないだろうか。いずれにしても今までの高価格高性能のノートPCの居場所はほとんどなくなるはずだ。まあこれは想像なので実際にどうなるかはなんともいえない。
わたし個人は持ち歩くPCに関してはネットブックの現在の仕様で十分だ。ただしキーボードだけは質が悪いのが多く、この一点だけでLet's Noteなど従来の「高価なノートPC」の存在価値があるかもしれない。
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by hatano_naoki | 2008-12-21 17:22 | ネットとデジモノ
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