基調低音
最近は自分が死ぬことを、極端な言い方をすれば、いつも考えている。ただ、意識の表層で考えているというのではなく、基調低音として、あるいは意識下の思考として、つねに触れているというような感じ。だからといって気分が暗いというわけではなく、単に身近なものとして死を見ている気がするというだけで、日常に変化がおきているわけではない。
考えてみれば人間はみな死ぬわけで、わたしだけが死ぬわけではなく、何十億の人間がみな死んでいくわけだから優れて普遍的なできごとであるにすぎない。肉体の死、客観的な死はいくつも見てきたし、それがどういう具合に起き、推移していくかもわかっている。ただ、わやらないのは自分の死というできごとだ。まだ死んでみたことがないので、どうなってどうなるのかがわからない。
昔、山で死に損なってあと一歩で死ぬところだったが、そのとき自分の身に降りかかってくる寸前だった死は苛烈で残酷なはずだった。肉体がこわれていくような死が皮膚のすぐ外側にあった。しかし人間には不思議な能力が備わっているもので、確実な死の直前に自力でそこから逃れることができたのだった。
まちがいなく死ぬはずだったわたしは生きることになった。かっこいい言い方をするなら長い余生がはじまったのだ。
ずっと死ぬことをおそれて生きてきたし、今でもそうだ。しかしちょっとした変化の兆しがある。死に対する親和力がわたしの中に生まれてきたようなのだ。死ぬことはこわいが、こわいだけではないと思い始めた。永遠に生きるほうがもっとこわい気がするのだ。
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by hatano_naoki | 2008-12-24 23:32 | 遺書
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