どう生きる?(2)
先行きが暗い暗いの大合唱の中で、そういわれると本当にそうなのか、それ自体が(ある種の)プロパガンダじゃないの、とメディアと知識人と専門家に対して疑い深いわたしである。暗いのは暗いに違いなく、そうまちがっていないとは思う。破綻・恐慌と薄紙一枚隔てて背中合わせになっているような心象風景が一般化しているのもさまざまなパラメーターからみてそのとおりなんだろうなあとは、なんとなくそう思う。そうした問題に大して打つ手がない政治や経済システムが愚かに見えるが、それらは遠いところにあり、状況をわたしはまったく部外者的で評論家的に傍観し、そういうこともあるよね、と思い、社会的破綻というのは恐ろしいよ、とか思っている。
一方で、しごく素朴に思うのだが、わたしたちのすべてが社会の行方を決めるほどの力と見識を持っているわけではなく、大多数は状況に漂い、その中で右往左往しながらもそれなりにがんばっている。自分もまた大衆の気分の一片を構成しており、一片が無数に集まって大衆の気分というものを構成している。大衆の気分を明るくしようとかはまったく思わないが、私自身の気分を悪しき外部のよくわからない風潮とか誘導に負けずになるべく建設的に維持していきたい。後退し、縮小し、否定し、憎悪して生きるのは周囲のエネルギーを吸い込んで無に帰してゆくブラックホール的生き方と呼ぶべきで、わたしは選択したくない。
ある種の伝統的な祭や芸能には(苦しい現実の中で)幸いがやってくることを願うとき、先に祝うことで幸いそのものを呼び込むという意味合いがあると聞いた気がする。こういう気分は大衆の中に今でも生きているように思うし、つらい状況を生きる知恵といってもいいだろう。さきに元気になり、さきに祝うのだ。
わたしについていえば、自分という個がどう生きるかだけでせいいっぱいだが、乱世の知恵ともいうべきなにものかが降臨するのではないかと、ちょっと自嘲気味に近未来を楽しもうと思っているところだ。
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by hatano_naoki | 2009-01-02 18:19 | 日日
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