どう生きる?(3)
そこいらじゅうに不景気と悲観とネガティブ思考が渦巻いているようにみえる。こうも悲観が横行しはじめると、世界経済と日本の運命の先行きを悲観する流れに同調したくなくなってくる。現実はだいたい理解しているつもりではあるけれど、だからといって泥舟をさらに水中に引き込む手助けをするのにどういう意味があるのか。悲観的であること、自らを無力な被害者を意識することが社会の中でファッション化し、そういう雰囲気が容認され、羊の群がふくらみ、状況をさらに悪化させる。そういう状況が気に入らない。反発を感じ、ここはひとつ攻撃的にいってやろうというような気分になる。
ではなにをどうやって攻撃的になるのかといわれると急に口ごもってしまう。いってみれば根拠のない自信であり、まわりがうつむいて羊になるのならこっちは顔をあげてファイティングポーズをとってやるぜというほどのたわいない言い方にすぎないが、私の皮膚感覚がそのように言わせている。この感覚を私は信頼しており、まずはそう言い、それから理由と意味を考えるのが性に合っている。
考えてみれば、私の場合に限るのかもしれないが、なにかを思いつき、試み、それが具体化して一定の結果を生むのを見届けることがおもしろく、そのときにこそ自分が生きていると感じるわけで、スタイルがそのようであれば行動や結果は二の次でいい。何度考えても、無からなにかを作り出すことしか考えつかない。
とはいっても枯渇がこわい。なにかを作り出そうとする意欲、その技術、その背景にある蓄積。それらが枯渇すればわたしはただ食べて寝る哺乳類にすぎないではないか。
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by hatano_naoki | 2009-01-16 21:04 | 日日
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