どう生きる?(4)
世界的な経済状況の悪化が進み、先が見えない。戦後最大の不況などといわれるがこれからどうなるのか。根拠もなにもない個人的イメージにすぎないが、いちおうメモ。
今後少なくとも10年、あるいはそれ以上、世界全体にとって苦境が続き、これまでわれわれがかんがえてきたような景気なるものは回復せず、新しい枠組みが発見できないならば「不況」は常態化し、恐慌めいた状況が世界を圧迫する。そこまで悪い状況に運良くならなかったとしても見通しの悪い霧の中のような状況が長期にわたって続く。もっとも考えられるのは恐慌寸前の低空飛行、破滅の手前の状態での綱渡り的緊張が持続することだ。
・・・というようなイメージがわくが、繰り返すが根拠はない。しかしどうも明るい展望を描けないのは悲しいことだ。ことによると生きている間ずっと不景気あるいはそれよりも悪い状況とつきあわなければならないというわけだ。そういう世界の中でどのように生きていけばいいのか、国家が新しい生き方を探さなければならないように個人もまたひとりひとりが新しい自分の生き方を創造しなければならないように感じる。

ずっと昔、20年ほど前のインターネット前夜にこう書いたことがある。

 時代というものは、時々ハードルを用意してわれわれに挑戦してくる。そのハードルを越えられる人とそうでない人との間にある決定的な差異が生じて、それが生活レベルの差となり、社会的な上昇と下降のきっかけになる。歴史の中の勝者と敗者が生まれる局面に他ならない。ただし、ひと昔前のBASIC 学習ブーム(?)の例のように、真にハードルであるのかどうかは多少時間が経ってみないとわからない。結局は自分で判断して、時代に賭けることになる。ここでは、これからの「時代のハードル」として,単にパソコンを使えるかどうか、キーボードが打てるかどうかだけではなく、パソコン通信やインターネットによるオンラインコミュニケーションのスキルをあげることにしたい。
 ネット上にはオンライン感覚なるものが存在する。それは他人と深くつながっているという感覚だ。どのようにつながっているかといえば、大勢の人とあらゆる方向につながっている。その誰とでもコミュニケーションがすばやくでき、大量の情報を難なく送ったり受け取ったりできる。豊かで自由な感覚だ。はじめはオンラインでコミュニケーションしているときにだけ感じられるオンライン感覚が、やがて人生の全体を覆い始め、ネットワーカーという属性を持つに至る。
 ネットをやっている人だからといって、必ずしもこのオンライン感覚を知っているとは限らない。私が思うには、パソコン通信に接続している画面をはじめて見た時にそこに人間を見る人と、単なるコンピュータ画面を見る人のふたつの種類の人間がいる。前者はたぶんオンライン感覚を理解する素質がある。オンライン感覚とネットワーキングの意識はもしかするとかなり近いものであって、この両者を理解するどうかが、これからの時代を生き抜くキーワードである。
 ではオンライン感覚とはなんだろうか。それはおそらく楽観的な想像力のことだ。自分の向かっている端末の向こうに人がいて世界がある。人と人とはお互いに理解ができ、コミュニケーションは何ものかを生み出す。そのような可能性を持った人たちがいまの瞬間、自分と同じようにして世界のどこかの通信端末の前にいる。距離に(さらには時間に)隔てられながらも、自分と同じように肯定的な世界観を持った人たちとのコミュニケーションチャンスが自分の前に開けている。それは極めて生産的で創造的な感覚である。
 一方で、オンライン感覚なるものがぜんぜん分からないという不安を感じる人がいま現在も存在し、これからも続々と登場するはずだ。急拡大するオンラインコミュニティの内外で、オンライン感覚の欠如の不安もまた増大していくのではないか。それはいるの社会にあてはめればクルマの免許を持っていないというような種類の不安だ。
 オンライン感覚はまさに感覚のレベルの問題だが、ネットワーキングへの理解の欠如はさらに深刻かもしれない。社会がネットワーク型へ移行していくのはほぼ確実な時代の流れであって、通信ネットワークの整備とその上でのトラフィックの急増が拍車をかけている。ネットワーキングが理屈として受け入れられたというよりも、通信ネットワークというインフラがわれわれにとっての学校として機能し、その上でネットワーキングが実践的に理解されつつあるというのがパソコン通信のもうひとつの顔だ。
 パソコン通信やインターネットをビジネスに活用しよう、その上でもうけようと思っても、ネットワーキングとは何か、そこでコミュニケーションする人たちのオンライン感覚とはどんなものかについて理解していないならば、成功はおぼつかない。このへんにネットワーク上でのビジネスの秘密があるように思う。

・・・インターネットが普及しきった今、20年前に書いたような情報技術のハードルはもはや風化してしまった。
次のハードルはおそらく、世界の直面する困難にどのように対し、どう生きていくかという問いかけだ。「時代のハードル」がまたも現れた。
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by hatano_naoki | 2009-02-11 09:53 | 日日
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