ちょっとした思いつき
奇妙なかんがえかもしれないが、今後世の中はネットワーク化が進展する一方でそれぞれのノード(=個人、家庭、企業といったコミュニケーションの受け渡し点)のスタンドアロン化が際立ってくるのではないかと思っている。
ここでいうスタンドアロン化というのは雑ないいかただがおおよそ次のようなイメージだ。
現在では通信分野に限らず流通や電力などのエネルギー供給、人間の移動もふくめて広域化し高度にネットワーク化している。こういったネットワーク化を否定したらどうだろうか?
各ノードが電力を太陽電池パネルで可能なかぎり自給自足すれば電力供給ネットワークは増強しつづけなくとも済む。各ノードがそこそこの食料を(たとえば水耕による野菜の栽培とかで)生産し蓄積すれば、各ノードを支える流通ネットワークは小規模化できる。ネット上の遠隔学習システムは通学しておなじ空間で学ぶという現在の学校教育システムを通信教育システムのようなものに変えてゆく。ネットを利用した在宅型勤務が可能な職種はそうとうな数にのぼるはずだ。
こうして各ノードの自律性、自立性が高まればそれぞれのノードはある程度完結した小世界を形成することになり、その結果さまざまな危機(たとえば自然災害による電気・ガス・水道の供給停止、食料供給の停止)に対する耐性が高まる。
ひと、もの、情報が移動することが経済的価値創出の根幹だから、各ノードがスタンドアロン化し自足していき、自給自足型の生活スタイルが極大化すればこれまでの基準でいうならいわゆる経済規模は縮小していき、一種の地下経済が出現するだろう。
流通を否定するということは入手できる物品が身近にあるものに限られることを意味する。付加価値の低いもので我慢するということでもある。しかし人間の歴史の中で流通が高度化したのはごく最近のことであって、もともとは基本的に地産地消型だったはずだ。小さな村から一生でることもなく、自分で作ったものを食って生涯を生きた封建時代の農民の生活が再現されることはないだろうが、ネットワーク化が自動ロボットのように自己増殖をつづけている現在、いま説明したような「スタンドアロン化」の兆しと可能性を改めておもしろく感じている。
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by hatano_naoki | 2009-06-20 07:15 | 日日
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