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「謎の金属片」その後
例の「謎の金属片」だが、6日現在で全国2万7000カ所で確認されたという。数はさらに増えるだろう。
これだけの数が見つかると、その全てが車の接触によるとはちょっと考えにくい反面、すべてが悪意といたずらだともいいにくい。なにかもっと込み入った状況がこれらの金属片を生み出しているのかもしれない。
このあとはノンフィクションの領域になりそうだ。

[追加] 7日夜のニュースでは36000ヶ所といっている。
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by hatano_naoki | 2005-06-07 01:48 | 日日
「謎の金属片」の正体
ガードレールの金属片について、新しい情報が出てきた。
それによると、
1)最新の調査では、金属片は全都道府県で合計17000個以上発見されている。
2)車が走行中にガードレールに接触するときに表面が三角形にはがれることがある。
3)ガードレールに取り付けられた古い反射板の金属部分がこのようなかたちで残ることがある。
ということだ。
つまり、現時点では「謎の金属片」は複合的な原因によってできた可能性があるが、これらの可能性が間違いなく金属片の原因であると断定されたわけではない。

こうして私の「ネットを媒介にした悪質ないたずら」説はあっという間に否定される運命にあるが、それにしても事実というものは面白い。
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by hatano_naoki | 2005-06-03 19:18 | 日日
突出する悪意、あるいは悪意の伝播
ガードレールから突き出した金属片が日本各地で多数発見されているという。

2005年6月3日の読売新聞をもとにした事件の経緯は以下のようである。
5月28日、埼玉県行田市の男子中学生が市道を自転車で走行中にガードレールに挟み込まれた三角形の金属片で軽傷を負った。金属片は2個あり、長さ8~14センチ。行田署が付近を調べたところ、数か所で金属片が見つかり、国土交通省や県などが緊急点検を実施した。
2日現在で43都道府県で確認されており、東日本では19都道県で1700個以上に上っているという。
各地でけが人が出ており、悪質ないたずらが模倣犯的に拡散している可能性もあるとして各警察では道交法違反や傷害容疑で捜査を始めた。

現時点で分かっていることは、次のようなことだ。
1)ガードレールへの設置方法が同じである(ガードレールの継ぎ目に差し込むか、いったんボルトを外して金属片をとりつけ、再び締め直す)。
2)全国各地で発見されていること。
3)大きさは長さ3~30センチとさまざまであること。

まず、現時点ではこれが悪意のあるいたずらなのか、それとも悪意のない別の理由によるのか分かっていないが、仮に悪意に基づく行動だとすると、
1)全国で発見されていることから、おそらく「犯人」はひとりではない。
2)金属片の大きさが違うことから、設置の方法だけが情報として広まったことがうかがわれる。
こういう状況証拠を並べてみると、どうも背景にネットか携帯メールがあるように思える。
つまり携帯のチェーンメールとかウェブ上のBBSとかでいやがらせの提案とか成功報告があり、それをまねする人間がネットを媒介して広がっていくような経過をたどっているのではないかということだ。
これが故意であるならば、尖った金属片をガードレイルに道路側に突き出すように取り付けて誰かが足を傷つけるのを面白がる心理は恐ろしく陰湿だ。おそらく「犯人」は現場に隠れて誰かが通るのを待つことはなく、誰かを傷つける金属片を設置したことで十分に満足したことだろう。

この事件から連想したのは対人地雷のことだった。
対人地雷も待つ兵器である。犠牲者に大きな怪我を負わせるものの殺さないでおいて救出・撤退の人手を増やし、戦闘能力を低下させること、地雷敷設地域に恐怖を蔓延させることで兵士の行動を緩慢にするといったその設計思想の陰湿さは、まさに戦争の生んだ知恵だ。戦争が終わったあとのことなど一切考慮されていない。

突出した金属片は、相手を傷つけることだけを目的としているという意味において、平和な日本に配置され始めたある種の地雷なのかも知れない。ある時代に伏流する悪意は象徴的な犯罪とそれを実行する人物を世の中に送り出す。ガードレールの金属片にもそうした時代のメッセージを感じるといったらおおげさだろうか。

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by hatano_naoki | 2005-06-03 11:09 | 日日
私はなぜ、何を書くのか
メタ議論(?)が好きな私は、自分がなぜ、何を書くのかという問いを発することを不自然だとは思わない。
まず過去を洗ってみる。自分がこれまでなにを書いてきたかを思い返すのはそれほど難しくない。20代の終わり頃に旅行記のようなものを自費出版したことがある。出版とはいえないほどの薄く簡単な冊子だった。400字詰め原稿用紙にして100枚ほど書き、それまでに書いたもっとも長い原稿となった。
商業出版として最初に出したのは「パソコン通信操作術」(1991年、ソニーマガジンズ)というパソコン通信の解説書だった。
それからやはりパソコン通信関係の「ビジネスマンのためのニフティ・サーブ」(ASCII)を共著で出した。そのほか一、二のネット関係の本を書いた。
その後、在宅ワークをテーマにした「テレワークで仕事が変わる・会社が変わる!」(1998年、日本実業出版)を共著で出した。
2003年には「アンコール遺跡を楽しむ」(連合出版)を出した。
最初の本から15年近く経つのにろくな結果を出していないことになるが、それでも多少は自己評価できるのは「アンコール遺跡を楽しむ」で、この本にいたってようやくある程度書きたいことを書く方向に進み始めたという気はする。この本は「日本のロンリー・プラネット」(注)を意識して書いたものだ。
では一体どういう本を書きたいか。
現時点ではいわゆるノンフィクションの領域の本を書いてみたい。紀行も書きたいもののひとつだ。
現在、文章を書くのはウェブ上が多い。一銭にもならないが、自分にとっては呼吸のようなもので書かないと生きていけない。
単行本は時間ばかりがむやみにかかる。本を書くということは自らに大きな負担を強いることになる。今書いているのはカンボジアの紀行的な文章で500枚ほどの量だがすでに2年もかかってまだまとまっていない。仮題は「カンボジア・ノート」という。出してくれるところはまだ見つかっていない。「アンコール遺跡を楽しむ」も書くのに1年半かかっている。
しかし文章を切り売りして生活することに魅力を感じているわけではない。しっかりした文章が書きたいだけなのだ。そこで才能の壁に激突することになる。
なぜ書くのか。
書く行為が自分にすでに埋め込まれていて、特別のものではないという気がする。書くことが当たり前で、書かないことのほうが不自然に感じる。文章を書いて感じるある種のカタルシスが確かにある。特に長い文章を呻吟の末に書き終えるときの開放感が好きだ。

(注)ロンリープラネット=英文の旅行ガイド。一種の文明批評的な側面を持ち、日本の旅行ガイドとは比べ物にならない。

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蛇足だがこの画像は細身のイタリア製万年筆アウロラ。ずっと前、デザインにほれてピサの町で買ったが、今ひとつ書きにくい逸品だった。
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by hatano_naoki | 2005-05-31 19:49 | 日日
目撃者の肖像
「ロバート・キャパ決定版」(原題Robert Capa:The Definitive Collection)という分厚い写真集を手に入れた。キャパは生涯に7万枚以上の写真を撮ったが、この本にはキャパが最初にメディアに発表した写真(1932年)から生涯最後の1枚(1954年)まで、1000枚近い写真が収められている。編集は弟のコーネル・キャパとキャパの伝記を書いたリチャード・ウェラン。
キャパの写真は何度か展示を見たことがあるが、これだけまとまって見るのははじめてだ。
まず、これまでに見たことがあって印象に残っている何枚かを探した。
私の好きな写真はいずれもスペイン内戦時に撮られたもので、それも共和国側の民兵の写真だ。ふだんなら町を歩いているような姿の男が銃を構えている。銃剣を腰に下げた女性の民兵が土嚢の陰から敵の姿をうかがっている。
民兵の服装はばらばらで装備も不十分に見えるが、その不統一は彼らの置かれた状況を如実に示すと共にその状況に対する彼らのメッセージとなっている。
ずっと昔、スペイン内戦に興味を持っていた時期がある。それは市民が武装して国を守るためにファシズムと戦うという図式への単純なロマンティシズムであり、国際旅団とかそういった「連帯と情熱」を象徴する英雄的な物語への憧れにすぎなかったかもしれないが、スペイン内戦が象徴的な戦いであり、私が学ぶべき多くの事柄を含んでいたのは確かだ。
フランコがあいかわらず権力の座にあった1980年代半ば頃にバルセロナに行ったとき、グエル地下教会に足をのばした。教会の管理人の名はエンリケといい、近所に畑を持っている年とった農夫で、内戦時に共和国側で戦った人物だった。少し足が悪かったがそれは内戦で負傷したからだという。
グエル教会の暗がりでエンリケの説明する声を聴きながら、私が実際に聴いていたのは彼の内戦の記憶であったのかもしれない。
キャパの写真には死体がそれほど登場しない。それがキャパの取材手法なのか、それとも編集者の選択なのかは分からないが、私にはキャパの視線そのものであるように思える。
今となってはキャパの切り取った戦場にはノスタルジックな雰囲気すら漂う。戦争写真が戦争の質を反映するならば、キャパの時代の戦争はその後大きく変容を遂げたことになる。
言い古された表現だが、そこにいない限り写真は撮れない。写真ばかりでなく、表現する者はそこにいなければ目撃できない。写真家はすぐれて目撃する者だが、戦場を撮る者は自分の最期すら目撃するのだ。

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by hatano_naoki | 2005-05-31 16:39 | 日日
書く道具、そして何を書くのか
今現在の「書く道具」はSONY製のノートPC、VAIO SRである。
私が使っているモデルが登場した2002年頃のSONYはまだ元気があり、アグレッシブな製品を投入していたが、このSRシリーズも無線LAN/bluetoothの標準装備という当時としては贅沢な仕様だったし、なによりも長時間使用可能な大容量バッテリーの存在が魅力的だった。この機械でどれほどの仕事をし、文章を書いたかわからない。
丸3年が経過して、その間大きな障害もなく元気で動いているが、キーボードは相当くたびれてきて取りこぼしが増えてきているし、2本目の大容量バッテリーにも疲れが見え始めた。機構上の問題なのだろうが、液晶画面はうしろに倒れてしまいがちだ。
そろそろ次の「書く道具」を探さなければならないが、SONYのモバイルノートがほぼ壊滅した現在、残る選択肢はPanasonicのlet's noteシリーズの1スピンドルPC、R4くらいしか見当たらない。
モバイルノートは、極端な表現に走るなら、私の人生そのものである。
書くことによって自分は支えられ、他人とコミュニケーションする。そういう生活が最初にパソコン通信に出会った1987年頃から絶えることなく続いている。最初の頃はデスクトップ機の前に座り続けていたが、SRを使い始めてからは町が仕事場になった。それ以前も、FROM9MDとかOASYS30ADとかの富士通製ポータブルマシンを使って1980年代末からずっとモバイルコンピューティングなるものをやり続けてきたが、SRを持つことでビデオ編集を除いて私がPCでやりたいことのほぼ全てを喫茶店のざわめきの中でできるようになった。さらに最近は公衆無線LANによって私はつねにネットの中にいる。
こういう状況はいくらか不安で不安定だが、移動すること、考えること、表現することの距離がとても近いというメリットがある。ちょっとうまく表現できないのだが、私は移動・思考・表現の統合環境とでもいったものに溶け込んでいる。
まあこういう道具立てで書こうとしているわけだが、では何を書くのか?

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by hatano_naoki | 2005-05-31 10:06 | 日日
矢立て
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stowawayの続きである。
この名前がThink Outside社のポータブル・キーボードのニックネームであることは昨日の記事で書いたが、おそらくその由来は折りたたみのギミックから来ているのだろう。
簡単にいえば半分に折りたたんでしまえるのだが、ちょっとスパイの小道具のようでもあり、その動き自体が精巧なおもちゃとしての愉悦を感じさせる。それで意味もなくパタパタと開けたり閉じたりして喜んでいるわけだが、やがてこのキーボードを入手した理由を思い出す。そう、私は喫茶店かどこかで小さなデバイスを取り出し、このキーボードをつないでおもむろに文章を書き始めたいのだった。
文章を書くにはノートPCのほうがいいに決まっている。画面の大きさは文章を見通す上で重要な条件だ。そんなことは百も承知の上で、小さなデバイスで文章を書きたい。その理由はおそらく、小さなデバイスが漂わせる「自由」の雰囲気にある。
d0059961_9232532.jpgしかし私の求めているような「小さな文章入力機」はなかなか見つからない。昔は文章入力に向いた小さな機械、たとえばOASYS POCKETとかJORNADAがあったが、そういうカテゴリーはなぜか絶滅してしまい、1スピンドルの小型ノートPCと携帯に収束した。単行本の分量はノートPCで書くが、今ここで欲しがっている私の機械はいわば「エッセイを書く機械」なのだ。
現代における電気仕掛けの矢立て。
そして、現代の矢立てと相性がいいのはおそらくblogだ。

写真下:矢立て(やだて)
墨壺に筆を入れる筒をつけた携帯用筆記用具。ひもで結びつけた革袋の中には、補充用の墨汁をしみ込ませ、墨汁がこぼれないようにもぐさなどを詰め込んだ。万年筆が一般化される昭和の前半頃まで使用。商人、区長などが腰に差して利用した。
(説明文、写真とも新潟市西川地区公民館ホームページより)
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by hatano_naoki | 2005-05-30 20:25 | 日日