カテゴリ:沖縄( 5 )
花村萬月『沖縄を撃つ!』
たいして大きくもない町の本屋で最近出た多田治『沖縄イメージを旅する』(中公新書ラクレ)がないかと、見つかる気がしないままに棚から棚へ見ていくと、この『沖縄を撃つ!』があった。で、沖縄の本であればなんでもいいというような気分だったので、この作家のことは名前を除いて何も知らなかったがそれを買った。実は女を買うあたりを数ページ読んで、開高健に感じるような崇高で汗ばんだ猥雑を感じることはなかったので、こんなもの、とは思ったが、とりあえず買った。
それからどこで読もうかと考えて、わたしの読書のひとつの姿勢は、昔小田実がいっていたのに似てソファに寝転んで読むことなので、そうしようとちらっと思ったが、考え直して山手線に乗り、一周するあいだに何十ページかを読んだ。電車の中はソファの上に次ぐ快適この上ない読書室である。
本を読むことは、その最初の数十ページは一種の格闘だ。ぎしぎしみりみりと文体とぶつかり、不愉快なざらざら感を味わいながら我慢に我慢を重ねて読み進む。それがすぎればある程度の妥協とあきらめが湧いて、それが一種の中和剤というかクッションというか、そのように作用するらしく、ざらざら感が薄れてゆくのがわかる。そんなこんなで『沖縄を撃つ!』の半分を読み進んだところだ。
内容にはとくに感心するくだりも撃たれる一文もいまのところなく、読みながら自分が書こうとする沖縄はどんなものなのだろうかと浮遊する意識を呆然として眺めていることが多い。それはそれで自分にとっては読書のひとつのスタイルであるので、ああまたそうなっているなと思うだけだ。いずれにせよ、わたしは本を読むことで本を書くに必要な刺激を受けることがあるのだ。

追記
この本を観光ガイドとして読むとなかなかおもしろいことが書かれている。そこに行ってみたいと思わせる場所がいくつか挙げられている。そうか、自分なりの沖縄観光ガイドというのを書いてもいいんだなと思ったりする。観光ガイドと名乗ったほうが結局いいものが書けるかもしれない。

追記その2
読了。最後はちりじりばらばらになって飛散していった。沖縄を語るというのはかなり危険なことなのかもしれない。
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by hatano_naoki | 2008-12-24 21:12 | 沖縄
那覇の変貌
最近のマイブームは沖縄についての勉強なのだが、ここのところもっとも関心があったある論文をようやく手に入れた。それは名嘉山光子というひとが書いた『那覇付近の埋め立てによる拡大』という論文で、私が入手したのは1967年発行の『琉大地理』に掲載されたものだ。18世紀以降の那覇とその周辺における埋め立ての歴史を詳しくのべている。
埋め立ての目的は陸地の拡大だが、その結果海岸線を変化させる。現代の那覇の海岸線から300年前の那覇の地形を想像するのはむずかしい。東京は埋め立てによってその海岸線を大きく変えてきたが、那覇の変化もまた実にドラマチックだ。
那覇にもうひとつの大きな変化をもたらしたのは戦争およびその後の米軍の占領であり、これらが現在の那覇の都市景観をもたらした基本的な要因だといっていいと思う。
今は名嘉山論文を繰り返して読んでいるところだ。特に古い時代の海岸線についての考察は興味深い。
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by hatano_naoki | 2008-01-27 23:19 | 沖縄
那覇短期滞在計画
ごく短い期間でいいから、那覇に住んでみたいという気分が強くなってきた。
たとえば1ヶ月くらいでもかまわない。
そのひとつの理由に、県立図書館をはじめとするいくつかの場所でしらべものをしたいということがある。私は幸運なことに国会図書館に30分ちょっとでいけるところに住んでいて、その恩恵は計り知れないものがある。しかし沖縄に限っては、やはり沖縄の図書館や県立公文書館を避けて通れない。那覇の町の隅の方の小さな部屋に住み、得体の知れないひとりの男として図書館に出入りしたり町を徘徊したりすることは比較的実現可能性のある夢のひとつだ。うまいものを食べにいったりするにしても、短期の滞在では思うようにいかない。とにかく、那覇では野垂れ死にすらできそうなのだ。
東京生まれの私は基本的に「失われた者」だ。根がなく、実際には根は皆無ではないがその大半は空想的で抽象的であり、思い出もなく、実際には思い出はあるけれどもそれらはメディアによって大量に注ぎ込まれる仮想の思い出とないまぜになって実在感が希薄になる。こういったイメージもまたどこかで大量生産された「消費財」だが、それらは私自身の資質、性向、生き様、好き嫌い、運命によって変形し、カスタマイズされ、私にとって居心地のいいイメージになっている。
那覇に私の根があるとは思わないが、まだ見ぬ懐かしさのようなものがある。那覇には行ったことがあるから正確には「まだ見ぬ」とはいえないし、形容そのものにも矛盾があるが、そういう気がするのだ。
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by hatano_naoki | 2007-09-23 19:50 | 沖縄
沖縄に行きたい
沖縄に行きたい。ただし夏が終わってからになるだろう。遠出はせずに那覇の町をじっくり歩いてみたいと考えている。現実には那覇をほとんど知らないわけで、那覇を知ってゆくプロセスを自分の文体で描くというのが旅の具体的な目的のひとつだ。
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by hatano_naoki | 2006-08-04 06:46 | 沖縄
カンボジアと沖縄についての妄想
以前、アンコール期の寺院には中国の影響はないのかとカンボジア人の友人にたずねたことがある。
答えは「ない」だった。「ありえない、ないに決まっている」ということだ。
一般的には、クメール建築はインドの影響を受けつつ独自の進化をとげたとされる。事実、私はインドでアンコールを彷彿とさせるような寺院建築を見た覚えがない。
ところで、これは間違いのない事実だろうか。
私にはクメール建築に中国建築の影響があるように思われてならない。これも妄想の一部だが、ハンチェイの石造寺院には中国の建築かと思えるような部分がある。
インド人が官僚や宗教指導者としてカンボジアの支配階層の一部を形成していたのはたしかだろう。中国人は商業に従事していたとされるが、本当にそれだけだったのだろうか。中国人の建築家が関与した可能性はなかったのだろうか。あるいは中国の寺院のイメージがクメール寺院のどこかに生きているということはないのだろうか。
クメール寺院の形態や構造は木造建築の痕跡を残す部分があると聞いたことがある。しかしインドでは木造の寺院は(おそらく昔から)とても少ない。
インドと中国のあいだにあるカンボジアで中国の影響が商業活動の掌握にとどまったとはとても思えない。
「クメール建築における中国文化の影響」を科学的に検証してみたら面白いと思うのだが。


現在の沖縄の観光イメージは、戦後に本土の観光資本主導で形成された。
ところで、島津侵入以降の琉球のイメージも、島津の支配戦略を反映して島津の影響下で半ば人工的に形成されたのではないか?
琉球の独立性、独自性、存在価値を強調するために、日本と中国に対して琉球のイメージを強調するような文化政策がとられたのではないか?
つまりわれわれの見る沖縄とは、時代時代におけるいくつもの「作り出された沖縄らしさ」の累積なのではないか?


琉球における久米三十六姓とアンコール朝に仕えたインド人の体制内の立場、役割、存在意義には似たところがある気がする。
たぶん「アンコール朝に仕えたインド人の研究」というのは存在しないのだろうが、大きな役割だったのではないだろうか。
私の理解では久米三十六姓は事実上、対中国貿易を取り仕切ったが、琉球人がしだいに代替していったということはなかった。彼らは技能集団であり、権力集団ではなかった。あくまでも琉球王朝に朝貢貿易遂行にためのサービスを提供した。一部の者は権力構造の最上層にまで登ったが、それでも支配よりも技能(この場合は行政官としての技能)の提供に心を砕いたように思われる。
つまり彼らは調和的、平和的に存在していた。
アンコール時代のカンボジアにおけるインド人にはおそらく(すくなくとも)祭祀、行政(これらは一体化していたといったほうがいいのかもしれないが)、それに土木建築を担う人々がいた。
彼らもまた、体制内で久米三十六姓のような役割を果たしたのではないか?高度な技能集団としてアンコール朝にサービスを提供した、権力志向の弱い集団だったのではないか?
(アンコール時代のカンボジアでは)中国人は経済にしか興味がなかったがインド人は政治に関与したといわれるが、その実態はどうなのか?
先行研究の成果を知りたいところだ。
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by hatano_naoki | 2006-05-11 22:17 | 沖縄